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筑紫の君磐井のふるさとを訪ねる①岩戸山古墳と石人石馬

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今日からはまた歴史ネタに戻ります。

 

先日、改めて筑紫の君磐井のふるさと・福岡県八女市に出かけて参りました!

筑紫の君磐井は、6世紀の福岡県八女地方に実在し、強大な力を持っていた豪族です。

527~528年の磐井の乱で継体天皇に滅ぼされ、息子の葛子は外交の地として重要な糟屋の地を差し出すことで死罪を免れました。

拙著『遠の朝廷にオニが舞う』より150年ほど前の時代の人物ですが、物語の世界に大きな影響を与えています。

筑紫の君磐井についてはこちら↓

参考『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉗筑紫の君磐井その1(by 珠下なぎ)

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参考『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉘筑紫の君磐井その2(by 珠下なぎ)

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参考『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉙筑紫の君磐井その3(by 珠下なぎ)

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現在の八女市には、12もの前方後円墳と300以上もの円墳が残されており、周辺からも様々な貴重な品が出土して、筑紫の君一族の隆盛を物語っています。

今回は、筑紫の君磐井の墓と伝えられる岩戸山古墳と、様々な出土品の収められている岩戸山歴史文化交流館を訪れてみました。

さっそく石人さんと筑紫の君のパネルが出迎えてくれます。

 

建物の中に入ると、展示室の入り口には、筑紫の君一族が隆盛を誇った時代を再現した絵が。立派ですね。

 

展示室には、岩戸山古墳をはじめ八女古墳群から出土した貴重な品々が展示されています。

これはかの有名な石人さん。

左から、「刀を帯び鞘を背負う石人」「鞘を負う石人」「武装石人」。

 

こちらも有名な石馬。

岩戸山古墳の石人、石馬さんは阿蘇の凝灰岩――阿蘇が噴火した時に噴出した火山灰などが固まった岩を掘って作られています。

凝灰岩は石の中では比較的軽くて加工しやすいため、今も八女地方の伝統工芸である石燈籠の材料にもなっているそうですよ。

比較的軽くて加工しやすいとはいえ、埴輪などに比べれば耐久性は格段に違います。石ですからね。

近畿地方の古墳には、周囲に埴輪を並べたものが多いですが、八女地方を中心とした古墳からは、石人・石馬が沢山出土しています。

一番沢山出土しているのは岩戸山古墳ですが、筑紫の君一族と交流のあったと思われる大分・熊本の古墳からも出土しています。

ところがこの石馬・石人、石にも関わらずかなり損傷が激しいです。

特に石馬など、真っ二つに斬られたような跡がありますね。

『筑前国風土記逸文』にはこう書かれています。

「磐井は官軍に勝てないのを悟り、一人、豊前国上膳縣(ぶぜんのくにかみつけのあがた、現在の大分県)に逃れた。官軍はこれを追ってきたが見失い、怒って石人の手を撃ち折り、石馬の頭を打ち堕とした」

石人石馬は、大和王権に対抗した、筑紫君一族独自の文化。それを徹底的に破壊しようとしたのでしょう。

 

岩戸山古墳には、「別区」と言われる広いスペースがあり、そこで猪を盗んだ罪で裁判にかけられている人の様子が石人・石馬で表現されているという記述が、同じく『筑前国風土記逸文』に見られます。

この記述と別区の出土品が一致したことから、岩戸山古墳が磐井のために作られた墳墓であったことが判明しました。

別区と、再現された石人石馬のレプリカです。

 

岩戸山古墳はあまりにも大きく、近くで見ると小高い丘か山のよう。

 

被葬者が誰かが判明している、全国的にも数少ない古墳です。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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