作品解説&エピソード 『遠の朝廷にオニが舞う』

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉗筑紫の君磐井その1(by 珠下なぎ)

皆さん今日は、珠下なぎです。

 

今日は「遠の朝廷(みかど)にオニが舞う」の時代より遡ること150年前、筑紫を支配していた「筑紫の君磐井」についてお話ししたいと思います。

 

作中ではこの磐井が様々な事情で作品の世界に大きな影響を与えていることが、読み進めると次第に分かっていきます(これ以上書くとネタバレになるのでここまででお許しください(汗))。

 

福岡市から南に60kmほど下ったところに、八女市という町があります。最近はお茶の産地として全国的にも有名になってきましたね。

筑紫の君一族は、この八女市を中心に、九州有数の豪族として繁栄していました。

 

筑紫の君一族の記録は、正史に残されているものは本当にごくわずかなのですが、八女丘陵に築かれた12基もの前方後円墳と300基以上もの小さな円墳と、その周辺からの出土品が、筑紫の君一族の隆盛を雄弁に物語っています。

 

中でも岩戸山古墳は、全長170m以上もある大きな古墳で、被葬者は筑紫の君一族の繁栄の頂点を築いた筑紫の君磐井とされています。

岩戸山古墳は、武人の石像である「石人」、馬の石像である「石馬」に守られています。


岩戸山古墳の石人石馬(レプリカ)

 

大和では陶器で作られていた埴輪に似ていますが、石で作られているので長い年月に耐えることができました。

また、「筑後国風土記」の逸文によると、古墳の敷地内に裁判の様子を表した石像が残っており、法によって治められた国家であったことがうかがわれます。

 

現在岩戸山古墳には岩戸山歴史文化交流館・いわいの郷(岩戸山歴史文化交流館/八女市ホームページ (city.yame.fukuoka.jp))|がオープンしており、八女古墳群からの副葬品を見ることができます。

 

鉄製の武具や道具も展示されており、当時筑紫の君一族が優れた技術者集団を抱えていたことが分かります。

 

出土品の中でもっとも目を引くものは、何と言っても金製の耳飾りでしょうか?


八女市観光振興課パンレットより

 

これは新羅で出土する金製の装飾品と酷似しており、新羅から持ち込まれたと考えられています。

交易の結果手に入れたものかもしれませんし、ひょっとしたら親交の証として贈られたものかもしれません。

 

大陸に最も近い場所である北部九州を支配していた筑紫の君一族が、積極的に外国と関わっていたことが分かります。

 

ところが、5世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島は新羅・百済・高句麗が並立し、互いに覇権を争う動乱の時代に入ります。そしてこの朝鮮半島の動乱が、筑紫の君一族の運命にも暗い影を落としてゆくのです。

 

続きはまた次回に譲りたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、、ありがとうございました!

 

 

 

 

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