作品解説&エピソード 『遠の朝廷にオニが舞う』

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉖「遠の朝廷」と万葉集(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

前回、前々回と「だざいふ」の呼称についてのお話を致しました。

 

ところが、作品と一番関連の深い、「だざいふ」の呼称を忘れておりました……。

 

作品タイトルにもなっている「遠の朝廷(みかど)」。

 

この呼称は、正式名称ではなく、万葉集にだけ見られる文学的表現です。

 

何とも雅やかで、遥か時の彼方へ心を誘うような響きがありますね。

個人的にもこの言葉、大好きです。

 

さて、この言葉は、柿本人麻呂の歌に最初に現れる言葉です。

「柿本朝臣人麻呂の筑紫国に下りし時に、海路にして作れる歌」と題して、二首の歌が万葉集に収められており、そのうちの一首に「遠の朝廷」という言葉が出てくるのです。

 

「大君の 遠の朝廷とあり通ふ 島門(しまと)を見れば神代し思ほゆ」

 

「大君がお治めになる大和の朝廷と、遠くにある朝廷として人々が往来する筑紫。その途中にある瀬戸内海の島門を見ると、遠い神代の時代がしのばれる」というくらいの意味です。

 

古事記には、日本の島々は国造りの神々が生んだとされています。大宰府までの船路の上で、遠い神々の時代に思いをはせた歌人の想像力の大きさが表れた、なんとも壮大な歌ですね。

 

『太宰府発見』(森弘子著、海鳥社)によると、「令和」の考案者とも言われている中西進氏(奈良県立万葉文化館名誉館長)が、九州歴史資料館開館10周年の記念論文集の中で、次のように述べられているそうです。

「遠の朝廷とは、こうした大和および大和の色彩を帯びた瀬戸内海の島々の延長線上に位置するものであり、官人として官命を帯びて中央の官から旅立ってゆく者の意識が呼ばせた、大宰府の名称であった」

「地方へ赴任することへの、もっとも典型的で格調の高いものといえば大宰府下向にあった・・・・・・これに匹敵するような場所はほかに存在しないのである」

 

当時の大宰府が、他の地方とは異なった、重要な場所であったことが分かります。

 

ところで柿本人麻呂は、天武朝から持統朝にかけて活躍した天才歌人として名高いのですが、この歌にもあらわれているように、天皇即神としてその権威を讃える歌を多く残しています。

律令国家として国の礎が急速に整えられていく時代を反映した人物というべきでしょうか。

 

余談ですが、天武朝以降の時代を描いた小説『宇宙皇子』にも、壬申の乱で父を失い、役小角の弟子として貧しい農民たちのために働く主人公宇宙皇子が、貧窮問答歌を歌った山上憶良と柿本人麻呂を比較し、山上憶良の方により親しみを覚える、という場面が出てきます。

 

遠の朝廷は外交と防衛の拠点であると同時に、大和朝廷における九州制圧の象徴でもあったわけで、「遠の朝廷にオニが舞う」の世界では、大和朝廷に制圧された側の人々も登場します。

 

様々な人々の想いが交錯する、遠の朝廷。ぜひ、作品世界をお楽しみください!

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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