作品解説&エピソード 『遠の朝廷にオニが舞う』

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉘筑紫の君磐井その2(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日は前回に引き続き、筑紫の君一族がその後たどった運命についてお話ししたいと思います。

 

日本書紀、継体天皇の巻には、おおまかにいうとこのようなことが書かれています。

「朝廷は新羅の侵攻に対抗する任那を助けるために朝鮮半島に軍を送ったが、当時北部九州の磐井は反乱の隙を伺っていた。それを知った新羅が磐井を助け、磐井は朝廷や百済・任那の物資輸送を妨害し、朝廷軍に従わなかった。朝廷は反乱とみなして物部麁鹿火(もののべのあらかい)らを遣わして1年にわたる戦闘の末に乱を鎮圧し、磐井の息子の葛子(くずこ)は糟屋の屯倉(みやけ)を差し出して死罪を免れた」

 

これが古代史上最大の内乱と言われる磐井の乱(527~528年)ですね。

 

日本書紀は大和朝廷の側から書かれた文書なので、磐井を「驕慢、無礼、道徳にそむく」とこき下ろしています。

けれど、地元では「朝鮮半島の西南部の国・百済を助けるため、大和王権が大きな軍事的負担を強要したことに強い不満をもった九州の諸豪族が『筑紫君磐井』を盟主として結集し、起こした反乱である」と伝えらえています。

また、最近の研究では、大和王権からの圧力に耐えかねた磐井を中心とした豪族たちが、自らの権益を守り、大和王権からの独立を目指した「独立戦争」と考えられるようになり、「磐井の戦」と呼ばれる意見も多数見られるようになったそうです(岩戸山歴史資料館のパンフレットより)。

 

このころはまだ日本には律令も国司制度もなく、地方の豪族たちがそれぞれ自分たちの国を治めており、そこに大和王権が軍事的・政治的な圧力をかけながら、日本の統一を試みていた段階でした。

 

大和王権側から見れば、磐井は朝廷に背く反逆者ですが、九州・特に磐井の本拠地であった八女では、朝鮮半島の戦に駆り出され、荒廃していくふるさとを守ろうとした、郷土の英雄として今でも語り継がれているのです。

 

またまた『宇宙皇子』(角川書店)の話で恐縮ですが、この超長編小説の4巻で、宇宙皇子は政争に敗れて悲劇の死を遂げた大津皇子の敵(かたき)・新羅僧行心を討つために、九州へ下ります。「遠の朝廷にオニが舞う」の世界より、わずか十数年後のことです。

 

その時出会った地元の人々は、口をそろえて大和朝廷の勝手さを責め、磐井を今でも郷土の英雄として崇めています。

「ここは今から160年も前だが、筑紫の君磐井が支配していた。(中略)ところが新羅の軍を討つために、ここから海を渡っていこうとした倭の朝廷の軍を妨害したというので、反乱軍として攻め滅ぼされてしまったのだ」

「しかし磐井は、朝廷が繰り出した大軍を相手にして、一年半も戦い続けたのだ。一年半もだぞ」

「彼は当時新羅と親しくしていたのだ。それを滅ぼそうというのだから、朝廷軍を妨害しても仕方がない」

「倭の朝廷に都合が悪いからといって、どうして磐井と新羅との関係を絶たなくてはならないのだ!」

「朝廷は勝手なのだ」(「宇宙皇子4~西海道隠び流し」より

 

この小説が書かれたのは30年以上も前のことですが、地方の歴史までも細かく調べ、その土地に生きる人々の心情までも描き出した藤川先生はやはりすごい作家だったのだな、と今にして思います。脱線すみません。

 

次回は磐井の乱の後の、筑紫の君一族についてお話しして、筑紫の磐井についてのエッセイのまとめとしたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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