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福岡の勅祭社・香椎宮⑧神功皇后凱旋の地

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

前回の記事でも少しご紹介しましたが、福岡市東区名島に、神功皇后凱旋の地があります。

福岡都市高速道路の出口からも近く、大変アクセスの良好な地にもかかわらず、今回初めて訪問しました。

少しわかりにくい場所でしたし、見学の際には注意した方がよいと思われる点が少々ありました。また、新たにご紹介したいものもありましたので、今回あらためて記事にしました。

 

1.神功皇后凱旋の地への行き方

福岡市中央方面から都市高速道路1号線で香椎方面に向かい、「名島」インターで降り、直進すると、車で約1分ほどのところに「帆柱石」の表示が見えてきます。

そこを左折すると、また標識があり、標識のある場所を右折します。道なりに進むと、右手に名島神社があります。

名島神社と道を挟んで左側に鳥居があり、海岸への短い道があります。この鳥居の下に1~2台なら車を停めるスペースがありますが、ここは駐車していいのか微妙なところですし、私が行ったときには先客がありました。

けれど車でさらに1分ほど進むと、60分200円の激安有料パーキングがあります。ここから帆柱石までは歩いて3分ほどですので、ここ停めることをお勧めします。

周囲はカーブが多く、道の狭い住宅街ですので、絶対に路駐はしないように!

ちなみに、地名の「名島」は、三韓征伐の際、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことに由来するそうです。

 

2.帆柱石(ほばしらいし)

(パーキングに車を停めて引き返して来ると、さっきの鳥居から少しパーキング寄りに、海岸へ向かう道があります。その道に入るとすぐ、「帆柱石」の案内板があります。

 

この案内板の後方に、石碑が建っています。風化してよく読めませんが、ここに帆柱石があることを示しているようです。

 

下は舗装されていない岩場で、足元は悪く、海がすぐそこですので、大変風が強いです。

絶っ対にハイヒールやサンダルなどで踏み込んではいけません(笑)。転びます。スニーカーがベストです。ひょろひょろとしてバランスの悪いたまなぎは、運動靴を履いていたにもかかわらず、何度も転びそうになりました(笑)。

しかし、肝心の帆柱石は、ぱっと見ただけでは分からない場所にあります。

石碑から右手に少し進むと、岩場のへりに等間隔に杭が打ってあり、鎖が渡され、簡易的な柵のようなものになっています。

そこから下をのぞきこむと、こんなふうになっています。

九つの丸い円柱形の石が並んでいます。確かに、長い柱が切れ切れになったように見えます。

 

 

これが帆柱石。神功皇后が三韓征伐から帰って来た後、御座船の帆柱を捨てたものが石になったと伝えられています。

けれど後の調査で、3700万年前の樫の化石だということが判明してしまっています(笑)。

 

3.俎板瀬(まないたせ)

さらに海岸沿いに歩くと、「俎板瀬」があります。

 

これは、神功皇后が出立の際に供物を供え、凱旋後に祝宴を行ったところです。出立の際に供物を供えたのは、誰に対してだったのでしょうか?

 

4.満珠・干珠の碑

時代は新しいですが、こんなものもあります。

「皇紀二千六百二年一月一日建立」「太平洋大海戦大勝利」「潮満珠潮乾珠」「昭和十六年十二月八日」こんな字が部分的に読み取れます。

 

昭和十六年十二月八日……。真珠湾攻撃の勝利を記念して建てられた碑のようです。

丸い石は満珠・干珠を模して造られたものですね。

「満珠・干珠」は、竜宮にある宝物で、潮の流れを操ることのできるという珠。

皇室の祖である山幸彦が、海幸彦を下したのも、竜宮からもらったこの珠の力でした。

また、佐賀県の與止姫神社の社伝によると、三韓征伐の前、神宮皇后の妹の與止姫が、竜宮に至って満珠・干珠を得、神功皇后に献上したことになっています。

ちなみに、神功皇后には與止姫という妹は史実の上ではいません。

前回の記事でご紹介した、『西日本古代史紀行……神功皇后風土記』の中では、『肥前国風土記』に記載のある、川上に住む女神・世田姫と、山幸彦の妻である豊玉姫が同一視され、そこに神功皇后の伝説が加わったものではないかと書かれていました。

凱旋の後、與止姫神社にこの二つの珠は納められたことになっていますが、山口県下関市の満珠島干珠島は、これらの珠が変化したものとも言われており、各地に伝承のある話なのかもしれません。

 

太平洋戦争初期、米国への緒戦の勝利に沸く当時の日本人は、勇ましい海軍の姿に、伝説上の神功皇后の姿を重ねたに違いありません。その先の悲劇も知らずに……。少し苦い思いで石碑を後にしました。

 

5.名島神社

俎板瀬から道路を挟んですぐ内陸側に、名島神社という古い神社があります。

神社のホームページによると、神功皇后が凱旋の後、宗像三女神を勧請したのが始まりだそうです。ということは、「俎板瀬」で神功皇后が供物を供えたのは宗像三女神だったのでしょうね。

 

摂社にお稲荷さんもありました。

 

奥の院のお狐さまがとっても可愛かったです。

 

ところがところが!

社殿を見上げたとたん、たまなぎの頭に大きな?マークが浮かびました。

社殿の上の交差した構造物を見て下さい。

これは「千木(ちぎ)」と言います。

この端が地面に垂直に切り落とされているのが「外削ぎ」。男神を祀っていることを示します。

地面に平行に切り落とされているが「内削ぎ」。女神を祀っていることを示します。

これは疑う余地もない綺麗な外削ぎ。男神のしるしです。

 

しかも、宗像三女神を祀っているにもかかわらず、参道はすがすがしいほどまっすぐ。間に橋もありません。

(宗像三女神、特に市杵島姫命は怨霊神の可能性が高いと言われています。実際、市杵島姫命を祀る宗像大社の辺津宮は、本殿の前に池があります)

 

むむむ……。

こんな時、高田崇史先生の『QED』シリーズでしたら、名探偵・桑原崇さんが出てきて、「本当のご祭神は別にいる!」と鮮やかに謎を解いてくれたりするんですが、あいにく私にはタタルさん(桑原崇さんのあだ名)ほどの推理力も知識もありません。

これについてはお手上げです。誰か謎が解ける方がいらっしゃったら教えて下さい(笑)。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

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