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珠下なぎの歴史メモ㉜蝶のちょっと怖い話その2

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今日は怖い蝶のお話二つ目。

 

揚羽蝶は鬼の乗り物である、という話。

 

このお話を知ったのは、鬼好きで知られるホラー作家・加門七海先生の『大江山幻鬼行』という小説でした。

江戸時代の百科事典である『和漢三才図会』の中に、揚羽蝶の別名として「鬼車(おにぐるま)」という記述があるというのです。

調べて見ましたら、ありました。

『和漢三才図会巻第五十二 蟲部 鳳蝶』の項に、揚羽蝶の絵と、別名として「鬼車」の記述が。

また、江戸時代の辞書である『書言字考節用集』にも揚羽蝶の異名として「鬼車」が挙げられており、1731年の『狂歌・雅筵酔狂集』の中にも、「蝶の名をおもひまはせばおそろしく鬼の車のする書もうし」という歌が載せられていることから、江戸時代には「揚羽蝶は鬼の車である」という認識が広がっていたことが分かります。

 

なぜ、揚羽蝶が鬼の車なのか。いつくらいからそのように呼ばれるようになったのか。

それについては色々調べましたが、正直、よく分かりませんでした。

そもそも、江戸時代には鬼といえば角を生やして金棒を持ち、虎の皮の褌を締めた大男、というイメージは既に確立していました。

そんな大きなものが揚羽蝶に乗っているというのは、かなり???という感じです。

 

『大江山幻鬼行』の中で、主人公であるホラー作家はこのように述べています。

「蝶は昔から、人間の魂の化身と言われているのだ。(中略)死霊や幽霊は、中国では『鬼』と表現されている。だから『鬼車』という呼び方も、死者の魂の乗り物として名付けられた可能性はある」

 なるほど。そのとおりだと思います。

 

 ところがややこしいことに、「鬼車(きしゃ)」というと、中国では全く別の妖怪を指すのです。

 中国の3世紀の『玄中記』によれば、毛衣をまとって鳥となり、毛衣を脱ぎ捨てて人間の女性となる「羽衣女」が、後に「鬼車」と呼ばれるようになったと書かれています。

 また、鬼車とは別に、中国には「女岐(じょき)」という子どもをさらって自分の養子にするという神女の伝説がありました。

 この鬼車・羽衣女・女岐は統合されて『玄中記』に「姑獲鳥」という、人間の子どもをさらう妖怪として記載されています。

 唐代の古書『酉陽雑俎』では、姑獲鳥は出産で死んだ妊婦が化けたものとの説が述べられており、江戸時代の『本草綱目』にもこの説が引き継がれています。このため、日本にもともとあった、死んだ妊婦が化けて出るという「産女」と混同されます。

 『和漢三才図会』にも、両者を混同した記載があり、江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕も『画図百鬼夜行』の中で、「姑獲鳥」を「うぶめ」と読ませています。

 「姑獲鳥」を「うぶめ」と読ませることは、平成のベストセラー『姑獲鳥の夏』で有名になりましたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

 

 と脱線してしまいましたが、「鬼車」はもともと人と鳥とを行き来する異形のもののイメージ。蝶とはかけ離れていますね。

 蝶の異名としては、「魂=鬼」の乗り物、という考え方の方がすっきりしている気がします。

 前述のように、日本のイメージの「鬼」が揚羽蝶に乗る、というのは物理的に無理ですから、この「鬼」はやはり「人の魂」と考えた方がいいのかもしれません。

 

 最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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