『神眠る地をオニはゆく』 歴史展 歴史 作品解説&エピソード 『遠の朝廷にオニが舞う』

重要文化財で見る『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』の世界②

はじめに

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

今回は前回の続き。

九州歴史資料館の特別展「重要文化財が語る古代大宰府」より、『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』に関係の深いものをご紹介していきます。

作品のうっすらネタバレがあります。

作品を未読の方は、ご了承の上お進み下さい。

 

祭祀呪具~法蔵が儀式に用いた土馬など

『遠の朝廷にオニが舞う』を読んで下さった方は、法蔵が大宰府政庁の北西の丘で、疫鬼を祓う儀式を行ったシーンを覚えて下さっているでしょうか。

疫鬼が乗るという馬を破壊する儀式を行い、疫鬼を移動できなくさせる、というもの。

このあたりから出土した土馬は全て、破壊の跡があります。

 

水に流した跡のある、人形(ひとがた)。

人形に穢れを移し、それを水に流すことによってその人の穢れを祓う、ということはよく知られていると思います。

 

こちらは観世音寺から出土した動物型土製品。

動物って、なんの動物だよ(怒)と突っ込みを入れたくなりますが、たしかにこれは「動物」としかいえません。

耳や尻尾は犬っぽいですが、顔は猫にも見える。しかし、背中の模様は猪っぽくもあります。

この時代、猫はまだいなかったと考えられますから(対馬あたりにはいたようですが)、犬か猪なのでしょう。

しかし、他の出土品の精巧さを考えると、表現が稚拙なために何の動物か分からなくなっているというのはちょっと考えにくい気がします。もしかして、「鵺」のように、複数の動物を組み合わせた、キメラ型の想像上の生き物だったりして。

ちなみにこれが出土したのは観世音寺。天智天皇が、白村江の戦い直前に九州で没した母・斉明天皇のために作ったお寺です。

 

鈴丸が使っていたかも?文房具

こちらは、役人たちが使っていた硯や、文房具の復元図。

役人たちにとって硯・筆・墨・水滴・刀子(とうす=こがたな)は必携アイテム。それゆえ当時の下級役人は「刀筆の吏」と呼ばれていたそうです。

当時の記録媒体は木簡が主。間違ったらそこを刀で削り取って書き直します。消しゴムみたいなものですね。

役所仕事に記録が大切なのは、古代から変わらなかったようです。

 

医生となった鈴丸も、これらの文房具を使っていたかもしれませんね。

 

これは7世紀のもので、大宰府で発見された最古の木簡です。

病気による欠勤届ともされていますが、詳細は不明だそうです。

 

平城京より古い、大宰府の鬼瓦

遠の朝廷と言われた大宰府は、建物もたいそう立派なものでした。

最初のうちは幾何学模様や蓮華文の瓦の鬼瓦が主でしたが、物語の時代よりも少し下って8世紀後半になると、鬼面の鬼瓦が見られるようになります。

これは平城京よりも古く、「大宰府式鬼瓦」と呼ばれています。

この時代の人々の「鬼」に対する信仰を考察するうえで、興味深い資料ですね。

 

軒丸瓦も最初は百済から伝わった様式を主にしていますが、後には国内で生産されるようになります。

美しい蓮華模様ですね。

 

シルクロードを伝わって来た舶来品

観世音寺からは、このような貴重な品も出土しています。

ガラスの小壺。

西アジア産と考えられています。

 

海の正倉院・沖ノ島からもササン朝ペルシアのガラス片が出土していますね。

長い旅をしてシルクロードから渡って来た品。どんな場所で、どんな人に作られたのでしょう。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。

物語の世界を、よりリアルに感じて頂けたら幸いです。

この記事を見て、作品に興味を持って下さった方は、ぜひこちらをご覧下さい。

珠下なぎ 小説作品のご案内 - たまなぎブログ by LTA出版事業部 (ltap.website)

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部