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珠下なぎの歴史メモ⑱ハロウィンの歴史その6 ハロウィンは悪魔の祭りなのか?

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

1900年代、「トリックオアトリート!」、仮装、カボチャのジャックオランタンなどをそろえた、現代のハロウィンの原型ともいうべきものが、アメリカで確立し、広まっていったのは、前回の記事で述べたとおりです。

一方、1930年代からは、「ホーンテッドハウス=お化け屋敷」産業が、エンターテインメントとして人気を集めます。

テーマパークに作られた本格的なアトラクションから、各家庭に墓場や骸骨をしつらえる小規模なものまでがありましたが、ハロウィンの時期にお化け屋敷の雰囲気を持つアトラクションを用意することが商業的にヒットし、この産業は第二次大戦後にもさらに発展を遂げます。

お化け屋敷と結びついた、「ちょっと不気味なお祭」としてのイメージのハロウィンは、映画のモチーフなどにも用いられるようになります。

また、「トリックオアトリート!」の風習が人気を集めると、第二次大戦後からこれはアメリカのお菓子メーカーの絶好のターゲットになります。

こうしてハロウィンは、アメリカの商業主義と結びつき、さらに大規模に祝われるようになっていくのです。

 

広がったハロウィンは、1900年代後半になると、やがて再び大西洋を越えてヨーロッパへ、逆に太平洋を越えて日本へと輸出されていきます。

日本では今や、若者や子どもたちの間で、大々的に祝われるようになっていますね。

イギリスのケルト人の間で祝われていたサムハイン祭は、2000年の時を超え、世界中に広がっていったというわけなのです。

 

ところで、皆さんは、「ハロウィンは悪魔の祭であり、祝うべきではない」という話を、聞いたことはありませんか?

これはいわゆる現代の都市伝説であり、間違った話なのですが、この根拠とされるのは主に次の3つです。

①キリスト教原理主義団体が広めた書物やウエブページ。

②アメリカの新異教主義・魔術崇拝者たちがハロウィンを取り込んだ事実。

③サムハイン祭を取り行っていたドルイド教に、人身御供の習慣があったこと。

 

①については、膨大な数があるのですが、この根拠とされているのはたった一人の人物の著作物がメインなのです。

その人は、1762年、調査のためにアイルランドに派遣された英軍測量技師チャールズ・ヴァランシー。

彼はアマチュアの歴史家でもあったのですが、困ったことに、大変思い込みの激しい人物だったようで、サムハイン祭に対して間違った言説を広げます。

ヴァランシーの時代には、「サムハイン」が「夏の終わり」と訳されていたのですが、ヴァランシーは「これは誤訳である。サムハインはケルトの神バルサブのことで、バルは主、サブは死を意味する」という自説を曲げませんでした。

つまり、ケルト人ははキリスト教の神を否定する神=悪魔を崇拝している、と言いたかったのでしょう。

バルサブなどという神はケルトの伝承のいずれにも存在しませんし、ヴァランシーの学説は学界からまともに取り合われませんでした。

ところがその著作は、キリスト教原理主義者たちに利用され、今でもハロウィンに悪魔崇拝の汚名を着せ続けている、というわけなのです。

今でもオカルト的興味や空想がまじりあい、それがあたかも事実であるかのように流布され続けているのは非常に残念なことです。

 

②について、これらの団体にも様々な流派があり、一口にくくるのは難しいのですが、様々な宗教の要素を取り入れた、「自然崇拝」の性質を強く持った団体が多いようです。

魔術と言っても、反キリストという意味での魔術ではなく、シャーマニズムや多神教の影響を受けた、大地や自然を崇拝することを教理としていて、いわゆる悪魔崇拝とは異なります。

それに、これらの団体がハロウィンを取り入れたのは20世紀のことで、ハロウィンの方がずっと以前から存在していたお祭ですので、たとえ彼らが陰で本当に悪魔崇拝を行っていたとしても、ハロウィンは「利用されただけ」と言えます。

 

③については事実ですが、ドルイド教が人身御供を行っていたのは起源前の話で、古代において人身御供は珍しいことではありませんでした。

キリスト教に取り入れられてハロウィンの形となってからは、人身御供の風習があった時期はありません。

 

というわけで、ハロウィンは悪魔の祭なんかじゃありませんので、皆さん安心して楽しんで下さいね!

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

参考文献 リサ・モートン著『ハロウィーンの文化誌』(原書房)

 

 

 

 

 

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