『遠の朝廷にオニが舞う』 史跡巡り 歴史 作品解説&エピソード

写真で見る『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台【坂本八幡宮編】

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今回は、写真で見る『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台シリーズの3回目、坂本八幡宮です。

 

前回の記事でご紹介した、大宰府政庁の正殿に向かって左側の小道を歩くと、道は緩やかに上り坂になっています。

坂を登ると、小高い丘があり、「坂本八幡宮」という名の、小さな神社が鎮座しています。

 

「令和発祥の地」として、近年急に有名になった神社です。

 

これは、この坂本八幡宮がある場所が、大伴旅人の邸宅跡だったという伝承があるからなんです。

大伴旅人が邸宅で催した、「梅花の宴」の時に詠まれた歌からつけられた元号が「令和」です。

 

その一方で、この場所からは、作中でも出てくる疫病退散の儀式に使われたであろう遺物が沢山出土しているのです。

物語の中で、百済僧法蔵が儀式を行ったのもこの場所です。

 

下の看板に坂本八幡宮の縁起が紹介されています。

坂本八幡宮の境内には「がらんさま」という石が置かれています。

これは、寺の中心地や結界の境となる場所によくみられる石だそうです。

つまり、この場所は結界の境目。

これより中に疫鬼を入れないための儀式が行われていたことを示す、発掘結果とも一致しますね。

 

これががらんさまです。

 

坂本八幡宮のやや南、大宰府政庁に近い平地にも梅花の宴にちなんだ歌碑が立っています。

 

発掘結果と坂本八幡宮の縁起が示しているとおり、坂本八幡宮の建つ丘は、「外と内との境界」であり、「大宰府を守る結界の要」であったと考えられるのです。

ですから、発掘結果を重視する現地の研究者は、この場所が大伴旅人の邸宅だった、ということには懐疑的な姿勢を見せています。

外と内の境界=町外れに要人の邸宅がある、というのはいかにも不自然ですからね。

 

百済僧法蔵が行った疫病退散の儀式については、ペーパーバック版の特典「『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台を歩く」でもより詳しく説明させて頂いております。

どうぞ併せてお楽しみください!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

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