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大野城心のふるさと館 開館5周年記念特別展 特別展「国宝 平原王墓出土大鏡の世界 ~なぜ人々は鏡に魅了されるのか~」行ってきた!

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

今回はちょっと『神眠る地をオニはゆく』関係はお休みして。

さてさて、先日、大野城心のふるさと館・開館5周年記念特別展特別展国宝 平原王墓出土大鏡の世界 ~なぜ人々は鏡に魅了されるのか~」に行ってまいりました!

平原王墓といえば、伊都国ですよ!

伊都国といえば、あの邪馬台国と同時に存在していたと『魏志倭人伝』にも書かれている国。

それでは行って参りましょう!

1.大野城心のふるさと館常設展示

特別展に向かう前に、ちょっと常設展示をのぞいたら、こちらも面白かった!

まずは、錘。7~8世紀のものです。重さを量るための道具。上の方に穴が開いており、ひもを通して吊り下げることができるようになっています。

それもそれ、ここは1~3世紀に栄えた奴国があった場所。奴国といえば、「漢奴委国王」金印を授かったことでも有名な、古代のテクノポリス。

2021年、10倍権と30倍権(10倍と30倍の重さを持つ錘)が新たに見つかり、弥生時代の人々が十進法を使っていたことが分かって話題になりましたね。

 

それからそれから、にゃんと! こんな須恵器も展示されていました。

7~8世紀のもので、猫の肉球の形がついた須恵器!

焼く前の段階で猫が踏んづけて行き、それを直さずにそのまま焼いたもの。

直さなかったということは、古代の人々は「食器に猫の肉球がついてもOK♡」と思っていたのでしょうね。これはほっこりします。

 

 

そして、大野城市といえば、あの大野城!

天智天皇が白村江の戦い後、北部九州に築いた防衛ラインの一つ、大野城がその地名の由来となっている場所です。

大野城の展示にも力を入れています。

古代の防衛ラインに興味のある方は必見です!

 

2.特別展~邪馬台国の一大率が置かれた、伊都国・平原王墓からの出土物

今回のテーマは鏡。古代ペルシアから始まって、中国製・国産など様々な鏡が展示されていましたが、たまなぎの目当ては平原王墓からの出土物たち。

この平原王墓は、かの有名な「魏志倭人伝」にも記載されている、伊都国の王墓。

伊都国は、邪馬台国の役所=一大率が置かれていたとされ、卑弥呼とも関連の深い国です。

 

王墓から出土した、美しい赤色のメノウ管玉(朝鮮半島産)と、ガラス管玉。

いずれも国宝です。

 

四螭鏡(しちきょう)。こちらも国宝。四つの乳で区画した四区画に逆S字状の省略した竜文。その周囲に朱雀と龍・虎を配しています。この種の鏡としては国内最大級だそうです。

 

これも国宝の内行花文鏡。

 

そして伊都国といえば超大型の鏡!

こちらも国宝で、内行花文鏡です。

 

ちなみに、「魏志倭人伝」には、「女王国は”北”に一大率を置いた」と書かれています。となると、邪馬台国は伊都国より南にあったことになりますね。

さてはて、どこにあったのでしょう。

 

3.特別展~三種の神器がそろう、福岡市早良区の吉武高木遺跡

伊都国・平原王墓も大変興味深いですが、一方、福岡市早良区の吉武高木遺跡からの出土品も、大変興味をそそりました。

この遺跡からは、旧石器時代から近世まで、様々な建造物の遺構が発見されているのですが、大型の甕棺墓と木棺墓が集中する特定集団墓があります。弥生前期末から中期初めにかけての墓群のうち甕棺墓7基と木棺墓4基から、青銅器、装身具などの豊富な副葬品が出土しています。

中でも、木棺墓からの出土品は大変興味を引きます。

こちらは勾玉と管玉。
勾玉は糸魚川産の翡翠製。
翡翠は古代のパワーストーンで、若返りや不老不死などの不思議な力があるとされました。

 

多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)。日本での出土例は十数例しかない、大変貴重な鏡だそうです。

 

銅剣。

 

この三点は全て、同じ墓・木棺3号墓から出土しています。

「鏡と玉と剣」といえば三種の神器。

三種の神器といえば、天皇家に代々伝わる、「草薙剣」「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」の三つを指すことが多いですね。

しかし、景行天皇が筑紫に行幸した際、県主が、賢木(さかき)の上枝に白銅鏡(まそかがみ)、中枝に十握剣、下枝に八尺瓊の玉を掛けて出迎えたとの記録が記紀に残っています。

また、他の県主の時も、上枝に八尺瓊の玉、中枝に鏡、下枝に十握剣を掛けて出迎えたとの伝承があります。

「鏡」「玉」「剣」の三つを神器として大切にする、というのは古い祭祀の形だったのかもしれません。

さらにいえば、天皇家はもともと九州の高千穂に始まり、東征して成り立ったものです。

天皇家と同一の祭祀の形が、九州に残っていたとしても、何も不思議はありません。両者のルーツは同じものだと考えられます。

この吉武高木遺跡、福岡市内ですがやや中心部から遠く、たまなぎはまだ訪れたことがありません。一度行ってみたいですね。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

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