史跡巡り 歴史 宗教・神話

鹿児島の月読神社と謎の神・月読命②

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今日は前回の続きです。謎の神・月読命について。

前回の記事で、月読命は天照大御神・須佐之男命と並ぶ三貴子の一人でありながら、「月読命に関する記述は他の2神とは比べ物にならないほど少なく、祭神とする神社も、天照大御神の13582社、須佐之男命の13542社にくらべ、704社と極端に少ないのです。また、『記紀』の記述もごくわずか」と書きました。非常に謎の多い神様なのです。今回はそれについてご紹介したいと思います。

 

1.『記紀』における月読命の記述

月読命についての記事が少ない、というのは私も何となく知っていました。けれど、その少なさは想像以上でした。

まずは古事記の記述です。

次に右の御目を洗いたもうときに成りませる神、御名は月讀命。

これは月読命が生まれる場面ですね。黄泉の国から帰って来た伊弉諾命が右目を洗った時に生まれた、という記述です。

次に月讀命に詔りたまいて、汝命は夜の食す國を知ろしめせと、事依さしたまいき。

これもさっきの続きで、伊弉諾命が月読命に、「夜の国を治めよ」と命じられた、という場面です。

はあはあ、なるほど。これなら確かに聞いたことがあるぞ、という方も多いと思います。ところが何と、月読命が登場する記事は、『古事記』では「これだけ」なのです!

え?これだけ?と私はびっくり。けれど、何だか、天照大御神と喧嘩して夜の国に閉じこもってしまったので、以来神話に登場しなくなったとか何とかいう話をどこかで聞いたことがあるぞ。ところがそれは、『古事記』ではなく、『日本書紀』の記述だったのです。

しかもこれは、「一書(あるふみ)に言う」という但し書きがついており、別の書からの引用とされています。異説をも紹介、という形です。これは長いので戸矢学先生の意訳を引用致します。

アマテラスから保食神(うけもちのかみ)を見て来るように命じられたツクヨミは、地へ降る。保食神は、口から、飯や海産物や鳥獣を出し、これらをたくさんの机に並べて饗応した。ツクヨミは「汚らわしい、いやしい。口から吐いたものをわれに供するとは何事か」と怒って、剣で切り殺してしまった。この報告を受けたアマテラスはおおいに怒り、「汝は悪い神だ。もう二度と会わない」として、夜と昼をへだてて住むことになった。(引用元;戸矢学『ツクヨミ 秘された神』2007年,河出書房新社)

その後、保食神の死体から五穀や蚕が生えて、養蚕と食物の起源となった、というお話です。『山城国風土記逸文』にもツクヨミが保食神を訪ねる場面があるそうです。

ところが、月読命についての記述は、『日本書紀』にも、誕生の場面に加えてこれだけ。『古事記』においても食物起源の、大筋の似た話はあるのですが、これは須佐之男命の話ということになっているのです。これをもって、月読命=須佐之男命とする説もあるそうです。

 

2.極端に少ない月読命を祀る神社 

前回からお話しているように、月読命を祀る神社は極端に少ないのです。しかも、その中には出羽の月山信仰が後に月読命を祀るようになったもの、本来別の「月の神」を祀っており、後に月読命に変わったものなのが大多数を占め、『記紀』に登場する「月読命」を祀るものはごくわずかなのです。

これらを押さえた上で、古代史や神社の歴史に詳しい戸矢学先生は、『記紀』の編纂を命じたのが天武天皇であったこと、天武天皇が渡来人のブレーンを抱え、「遁甲の術」――天体・暦を読み、陰陽道の基本となった――を得意としていたことなどを論じ、次のように述べられています。

「月讀命という神をつくりだし、それにみずからをなぞらえることによって、天武天皇は生きながらにして神になったということである。すなわち「現人神」という観念の想像、概念の獲得である。

(引用元;戸矢学『ツクヨミ 秘された神』2007年,河出書房新社)

 

つまり、月読命は天武帝によって作り出された神であり、天武天皇はそれに自らをなぞらえて、国家の中心である天皇=現人神という概念を作り上げた、ということです。さらに、こうも述べられています。

次の持統天皇の時に、アマテラスは天孫降臨神話の論理に組み込まれ、変身することになる。「日の神」アマテラスは持統天皇を体現し、持統の皇孫である軽皇子(文武天皇)への譲位を保障することとなる。今にいう「皇祖」とは持統天皇のことである。ここに、奇しくも天武・持統の夫婦による比定が完成する。(引用元;戸矢学『ツクヨミ 秘された神』2007年,河出書房新社)

 

なるほど。『記紀』は天皇家の権威と正当性を保証し、天皇を中心とする中央集権国家をゆるぎないものにするために編纂されたことを考えると、書かれた神話をそのまま事実としてうのみにしたり、考古学の結果に照らし合わせたりするのに懸命になるだけでなく、これらの記述がどういった意図をもって書かれたかを考察すればまた別のものが見えてくるのですね。

戸谷学先生の『ツクヨミ 秘された神』はこちら。三種の神器や天武没後も続いた天武系・天智系の確執、桓武天皇の遷都に隠された意図など、詳しく興味深いお話が沢山ですのでお勧めです。

月読神社と月読命についての記事は次回も続きます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部