『遠の朝廷にオニが舞う』 歴史

珠下なぎの歴史メモ㉞『鬼滅の刃』の聖地・竈門神社のもっと古いお話①

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、最近はチェリまほ記事ばかりでしたので、今日は久々に、真面目に(?)歴史メモです。

電子書籍とペーパーバック版で発売中の『遠の朝廷にオニが舞う』とも少しだけ関連のあるお話です。

 

以前、こちらの記事で、作品中にも少しだけ登場する宝満山についてご紹介しました。

『鬼滅の刃』の聖地として一躍有名になった竈門神社の所在地です。竈門神社と同時に広く知られるようになりました。

単に主人公の苗字と神社の名前が同じというだけでなく、宝満山には鬼との深い関わりがあるとのお話でしたね。(詳しくはこちら↓)

 

今回は、この宝満山についてお話しようと思います。

大宰府の鬼門封じ・大陸から伝来した竈門信仰が一体となって初期の宝満山信仰が成立し、673年に成立した竈門神社ですが、宝満山にはもっと古い時代のエピソードもあるのです。

宝満山は、古い時代には「御笠山」または「竈門山と呼ばれていました。これらには、様々な由来があります。

まず、「御笠山」から。

①南側(筑紫野市側)から山を見ると、笠の形に見える。笠は古来、神の依り代とされていた。

②神功皇后がかつて羽白熊鷲という地域の有力者を討伐に出かけた時、立ち寄ったのが松峡宮(まつおのみや)。この時つむじ風が起こって笠を吹き飛ばされたという話が『日本書紀』に載っている。

松峡宮は、宝満山の西の麓にある松ノ尾という説がある。

 

「御笠山」だけでなく、宝満山を水源とし博多湾に注ぐ、「御笠川」という川もあります。

 

次に、「竈門山」。

①神功皇后が応神天皇を出産する際、宝満命が御笠山に竈門を立てて産湯を沸かしたという伝説による(『竈門山宝満大菩記』『竈門山由来』)。

②山の形が太宰府市側から見ると竈門の形に見え、常に雲で覆われていることから煮炊きをしているように見える(『筑前国続風土記』)

③大宰府の鬼門封じとして、大陸から伝わった竈門神を祀ったため。

 

さて、「御笠山」「竈門山」。

どちらの由来にも絡んで来る、神功皇后

さらに、神功皇后とその子である応神天皇は、竈門神社の祭神でもあります(主祭神は玉依姫)。

歴史に詳しい方はご存じでしょうが、第12代仲哀天皇の妃で、数々の伝説を持つ、謎の人物です。

そして、九州に大変ゆかりの深い皇后でもあります。

次回の歴史メモでは、この謎の神功皇后についてのエピソードのうち、特に『遠の朝廷にオニが舞う』の世界や地域に関りの深いものをご紹介したいと思います。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

参考文献:筑紫野市教育委員会『ちくしの散歩』,河村哲夫『西本古代紀行~神功皇后風土記』

 

 

 

 

 

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