史跡巡り 歴史 作品解説&エピソード

藤原虎麿と田中長者

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今日は、前回の大宰府取材の、もう一つの目的についてお話します。

前回の大宰府取材は、「鬼すべ神事」の取材がメインでしたが、もう一つ、どうしても調べておきたいことがありました。

以前、Twitterで地元のフォロワーさんから教えていただいた、「田中熊別」。

この人物の取材に出かけたのです。

この人物は、「田中長者」として太宰府で語り継がれている伝説上の人物です。

実は、拙著『遠の朝廷にオニが舞う』にも登場する、藤原虎麿とも関わりのあった人物なのです。

 

1.田中長者と虎麿長者の昔話。

このお話は、太宰府市に伝わる昔話です。

藤原虎麿が、ちょっとイヤな人物に描かれています。拙著を読んで虎麿を好きになって下さった方はご注意くださいね。

昔、通古賀(とおのこが)に田中長者という大金持ちが住んでいた。広い屋敷と、こちらの山から向こうの山までといわれるほどの田畑を持ち、「お家が千軒、お蔵が千軒、田中長者は物持ち長者、お米の山に、金の山」と村の子供たちは、はやした。ある日、隣村の虎丸長者(筆者注;藤原虎麿)が千人の家来をひきつれて、宰府のお寺にお参りをした。その帰り道、にわかに雨が降り出したので、近くの田中長者の家へかけこんで、「どうか笠を貸してください」とたのんだ。田中長者は困った顔もしないで、にっこり笑い、蔵のなかから千本の真新しい笠をだして貸した。虎丸長者の家来たちはびっくりし、虎丸長者は口惜しくてならなかった。あくる日、虎丸長者は家来の中から大飯ぐらいを千人選んで、「きのうの笠を返してこい」と命じた。長い笠の行列が続き、千人目の家来が着いたのは昼過ぎになった。田中長者は、その千人を広い座敷に通して、「皆さん、よくおいでになった。ちょうど御飯を炊きすぎて困っていたところです。どうかたくさん食べてください」とたいそうな御馳走でもてなした。虎丸長者の家来たちは、いよいよびっくりした。

このお話は、「まんが日本むかしばなし」の題材にもなっているそうです。

 

2.田中の森

この田中長者の墓と言われる場所が、「田中の森」です。

近年までは木立に覆われていたそうですが、今は「三日月薬局」という薬局の裏にひっそりと石碑と数本の木のみが残されています。

 

この近くの橋は田中橋。

 

また、田中という地名も残されていました。

 

神武天皇が四王寺山に城を築き、田中熊別に警護させたとも伝えられています。

この峰に祀られた神社は大野城が築かれた際に通古賀に移され、これが王城神社の始まりとなりました。この時に王城神社の祭祀を務めたのも田中熊別と言われています。

昔話では虎麿と田中長者は同時代の人となっており、虎麿は「天智・天武朝」時代の人ですから、田中長者が王城神社の祭祀を務めた田中熊別だったとすると時代は合います。けれど神武天皇に仕えた田中熊別と王城神社の祭祀を務めた田中熊別は同一人物だったはずはありませんから、この二人は祖先・子孫の関係だったのかもしれませんね。

王城神社に降ろされた神については、色々不思議な点が残っています。それについてはこちらの記事で考察していますので、興味のある方はご一読下さい。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

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