伝統文化・習俗

異人殺しのフォークロアと鬼殺しの奇祭「鬼すべ神事」

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

本日は過去にアクセスの多かった記事をまとめ直してお届けします。

それは、著名な民俗学者小松和彦氏の『異人殺しのフォークロア』について。

閉鎖的な村社会を訪れた「異人(外部の人)」が殺される、という民話のパターンはあちこちに見られます。

このことを調べ始めたのは、福岡にも「異人殺し」を思わせ、しかも鬼殺しをメインとする奇祭があるのを知ったからです。

以前の記事は数回に分けて詳しくご紹介していましたが、今回は分かり易くダイジェスト版で「異人殺し」についてご紹介し、鬼殺しの祭りとの共通の心性を考察したいと思っています。

 

「異人殺し」のフォークロア

異人殺しとは

「異人殺し」というフォークロア(民間伝承)は、「異人が村のある家族に殺される→異人の所持金(品)が略奪される→異人を殺した家族が急に金持ちになる→異人を殺した家族に祟りが起こる」というパターンです。

この場合の異人とは、村などの地域社会が閉ざされており、外部との交流がほとんどなかった時代に、村から村へ渡り歩いた人々です。

行者や山伏、巫女、六部(巡礼僧)、座頭(盲人)などがこれに該当します。

彼らは「よそ者」であると同時に宗教的な存在でもありました。ですから、差別の対象であると共に畏怖の対象でもありました。ですから、命を軽視される一方で、「殺されれば何らかの報復をして当然」と思われたのです。

 

「異人殺し」が語られる背景

では、この「異人殺し」という民間伝承は、村社会の中でどのような意味を持つのでしょうか。

それは、村の中で急に隆盛し、その後異常に見舞われる家が出た時、それに対する合理的な説明をするために語り出された、と民俗学者の小松和彦氏は述べています。

「あの家は異人を殺し、その富を略奪して豊かになったが、異人の祟りで異常に見舞われた」というストーリーを村人が作り出す。

そうやって自分たちを納得させると同時に、急に金持ちになった家への嫉妬心を癒すことも出来る。さらに、「異人殺しを行った家」ということで、その家を排除・差別することも許されるようになる。そういった心性が「異人殺し」の背後にあるというのです。

では、こういった、「異人殺し」が実際に行われていたかというと、小松和彦氏は「実際に行われていたと考えるのが妥当」と言われています。

実際に行われていたのを見聞きした、また、行われてもおかしくないという共通認識があったからこそ、急な隆盛と異常に見舞われた家を見た時、「異人殺しを行ったからだ」という理由付けを行ったことができるというのです。

 

排除の論理

「異人殺し」の背景にあるのは、「排除の論理」です。

しかもそれは、二重の論理となっています。

もともとは、村にとって異物である、「異人」を「殺す」という、排除。

さらには、「異人殺しを行った家」は不幸な目にあっても仕方ない、とする排除。

「異人」そのものと、「異人殺しを行った家」に対する二重の排除の論理が、ここにあるのです。

それは、村が閉鎖されていた時代だからこそ、異物に対する恐怖が強かったためでもあるでしょうし、もしかしたら異物とされたものを排除・差別することによって村の結束が強まる、といった側面もあったのかもしれません。これは現代の日本人の心性とも無縁ではないのではないでしょうか。

 

鬼すべ神事と異人殺しに共通するもの

鬼すべ神事にまつわる怖い昔話

実はたまなぎが「異人殺し」のことを本格的に調べ始めたのは、福岡県太宰府天満宮で行われている奇祭「鬼すべ神事」のことを知ったからです。

いや、もっと言いますと、太宰府市のすぐ南、福岡県筑紫野市にこんな昔話が伝わっているのを聞いたことから始まりました。

昔、鬼すべ神事ではその日の最初に参拝した人を鬼役にするという習わしがあった。ある日、肥前の国(佐賀)から来た人が鬼役にされたが、煙に燻され、炎に巻かれて、恐ろしさのあまり逃げ出した。その時にかぶせられていた鬼の面をここの松の木にかけ、無事追手から逃れて故郷へ逃げ帰った。

何とも恐ろしい昔話ですね。実際、この時に鬼の面をかけた、という場所は「鬼の面(きのめん)」というバス停の名前となって残っています。

このお話を聞いて、「異人殺し」を想起したのが、たまぎが「異人殺し」に興味を持った始まりです。

 

鬼すべ神事

鬼すべ神事は、太宰府天満宮で毎年1月7日に行われている祭りです。

千年以上の歴史があり、もともとは追儺(大みそかに鬼を追い払う儀式、節分の原型)の行事として行われていました。

それが次第に変化し、江戸時代頃には縄で縛った鬼を堂の周りに引き回し、大量の生松葉と藁で煙を出して鬼を燻す、という現在のような形になりました。

鬼はその日の朝一番に太宰府天満宮に来た人を捕まえて鬼役をさせ、誰が鬼にされたかは最近まで極秘事項だったそうです。鬼役をやってくれた人には、米一俵と酒一升がお礼として贈られました。

現在では太宰府天満宮の氏子の皆さんが「鬼役」「鬼警固役」「燻手役」の三グループに分かれて神事が行われています。

 

「鬼殺し」と「異人殺し」の共通点

鬼すべ神事のクライマックスでは、鬼役が鬼すべ堂の周囲を三回半回り、神職・氏子会長が鬼に豆を投げ、卯杖(うじょう)で打ちます。

つまり、「鬼を殺す」わけです。

これは、あるコミュニティの人々が総意で「鬼を殺す」わけですから、コミュニティの人の一部がこっそり異人を殺し、一時的に裕福になった後に祟られる、という典型的な異人殺しとは形が違います。

 

しかし、「異人」と「鬼」にはいくつかの共通点があります。

①あるコミュニティにとって外部の存在であること

②福と災厄を同時にもたらす

③敵意や差別の対象である

「鬼」は災厄をもたらす一方で、富をもたらす産鉄民族であったり、古い山の神であったりと、福をもたらす存在でもあります。

異人も同様で、民俗学者の折口信夫氏は、異人=マレビトを、人々に福をもたらす来訪神と位置付けました。

鬼すべ神事で殺されるのは鬼ですが、その役は近年まで、外部の人間に負わされていました。

この場合の外部の人間は一般人ですが、米一俵と酒一升という報酬にもかかわらず、内部の人間が鬼役をやらなかったというのには、何かしらの意味があるような気がします。

「異人殺し」と「鬼すべ神事」にはいくつかの共通点があります。

一つは時代。異人殺しの民話の時代背景は、座頭や六部という言葉から見て主に江戸時代付近であると考えられるます。鬼すべ神事が今のような形になったのも江戸時代です。

もう一つは二重の排除の論理。異人殺しは、村社会の特定の家を排除するために異人の排除という伝承が語り出されました。鬼すべ神事では、排除されるべき鬼を、外部の人間に演じさせ、それを排除する。いずれも二重に排除の論理が使われています。

最後に繰り返しになりますが、「鬼」と「異人」の共通性。福をもたらす一方で殺意や排除の対象となり、村社会にとって外部の存在である。

異人殺しと鬼すべ神事は、同一のものとは言えませんが、共通の心性が作用しているように、私には思えました。

 

まとめ

・「異人殺し」というフォークロア(民間伝承)は、「異人が村のある家族に殺される→異人の所持金(品)が略奪される→異人を殺した家族が急に金持ちになる→異人を殺した家族に祟りが起こる」というパターンである。

・「異人殺し」は村の中で急に栄え、その後異常に見舞われた家があった時、村人自身が自分たちを納得させるストーリーとして語り出された。

・太宰府天満宮の「鬼すべ神事」は追儺の発展形であり、典型的な「異人殺し」とは異なるが、鬼と異人にはいくつもの共通点があり、「鬼すべ神事」と「異人殺し」の背景にも共通の心性が垣間見える。

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最後までお読み下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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