伝統文化・習俗

太宰府天満宮の古い火祭り「鬼すべ神事」~身の毛もよだつ昔話編

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さてさて今回は、先日予告したとおり、太宰府天満宮の「鬼すべ神事」にまつわる、怖い昔話をご紹介します。

多分、地元の方以外にはほとんど知られていない、超レアなお話だと思います。

 

1.筑紫野市の不思議なバス停「鬼の面(きのめん)」

太宰府市に隣接する筑紫野市の、ほぼ太宰府市との市境付近に、「鬼の面(きのめん)」という名のバス停があります。

筑紫野市は、拙著『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台でもあり、この町の歴史についても色々調べたので、このバス停は知っていました。鬼センサーが反応しましたのでね。

ところが、軽く調べたところでは、「昔、追儺の行事の時に、鬼の面を木にかけた伝説がある」ということしか出てきませんでした。

そこで、「なんだ、それだけか」とそれきり興味を失い、放置していたのです。

ところがところが!

何とも恐ろしい昔話が、地元に伝えられているという情報を、最近入手いたしました。

 

2.「鬼の面」の真相~「鬼すべ神事」にまつわる恐ろしい昔話

地元に、こんなお話が伝わっているそうです。とある地元誌よりの引用です。

正月7日の夜に太宰府天満宮で行われている行事「鬼すべ」。

昔、「鬼すべ」の時には一番先に参拝に来た人を「鬼」にする風習がありました。

ある年、肥前の方から来た人が「鬼」にされたそうです。

煙に燻され炎に巻かれたその人はあまりの恐ろしさに「鬼面(きのめん)」を持って逃げ出しました。

どうにか「松尾宮」のところまで辿り着いた時に近くの松の木枝に「鬼面」を掛けて安い、追ってからのがれ郷里へと逃げ帰りました。

これからこの地を「鬼の面(きのめん)」と呼ぶようになったと言い伝えられています。

あっさり書かれていますが、「煙に燻され炎に巻かれたその人は……」ってつまり、焼き殺される寸前だったということでしょうか⁉

現在の鬼すべ神事では、確かに堂にこもった鬼を煙でいぶし出す過程があります。鬼役は鬼面を掲げ、その後縄で縛られて豆をぶつけられ、退治されます(現代ではもちろん退治された「ふり」です)。

ところが、この昔話では、鬼役の人が命の危険を感じて逃げ出したとも読めます。しかもそれを鬼すべ神事を行っていた人々が許さず追いかけたということ。ということはつまり……(ガクガクブルブル)。

「鬼の面」のバス停は確かに太宰府天満宮から見て南側、このまま南へ下ると間もなく佐賀(肥前)との県境。故郷へ向かって逃げたとして自然な行動で、それだけにリアリティがあります。

なんとも恐ろしい話ではありませんか。

 

3.松尾宮

この昔話の中に出てくる「松尾宮」は、「鬼の面」バス停から南南東130mのところにある小さな祠です。

昔から地域の氏神様として「きのどん様」という呼び名でしたしまれているそうです。

同じく地元の町内会によると、この地が「鬼の面」と呼ばれることからこの祠を「鬼の堂(きのどう)」と名付けられ、これが訛って「きのどん様」になったという説があるそうです。

老朽化が進んだため令和2年に再建され、私が訪れた時は白木の新しい祠が建っていました。

存在を確認できる最古の資料が『筑前国続風土記附録』(1784年)ということですが、先ほどの昔話に「松尾宮」の名が出ていること、ご神体は5つの石で、祀られている神様の由来がはっきりしないことなどから、もっと古くからあった、土地に根差した古い神様を祀ったものなのかもしれませんね(ご神体の石は祠の奥にありました。分かりにくいですが5つあります)。

看板に、「鬼すべ神事」にまつわる昔話も書かれていましたが、こちらはだいぶマイルドな表現になっていました。

しかしここではまだ、「鬼すべ神事」と恐ろしい昔話の謎は解けませんでした。

さらに謎の解明を求め、なぎは太宰府天満宮へと向かいます……!

果たして謎は解けるのか?

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

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