作品解説&エピソード 『遠の朝廷にオニが舞う』

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界⑥節分の鬼と古代のオニその2(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も読んで下さって、ありがとうございます。

 

本日は前回に引き続き、節分で追い払われる鬼=瘟鬼(おんき)を通して、日本の古代のオニについてお話ししたいと思います。(前回はこちら『遠の朝廷にオニが舞う』の世界⑤節分の鬼と古代のオニその1(by 珠下なぎ) | LTA出版事業部のブログ (ltap.website)

 

日本での節分の原型となった追儺(ついな)の行事は、6,7世紀ごろから日本に輸入され始めたと考えられています。

つまりそれ以前の大陸では、「瘟鬼(おんき)」=伝染病をもたらすオニ、という概念が、広く人口に膾炙していたのです。

 

「瘟鬼」のルーツは、六朝時代(222~589年)頃の、「敗軍死将」、つまり戦に負けて死んだ将軍が鬼となって疫病を広める、という民間信仰に求められるようです。

 

これが草創期の道教に取り込まれ、六朝時代に「五瘟神」として成立します。

東西南北と中央にそれぞれ瘟鬼の指導者=瘟神がいて、疫病を広めている、というものです。

 

東の劉元達は風邪などの呼吸器の病気、南の張元伯は熱病といったように、それぞれ別の性質の病をつかさどっていました。

 

瘟鬼を祓うために民間で追儺の原型になる儺儀(なぎ)が行われるようになり、これが日本に輸入されて追儺となりました。

 

日本の追儺と異なり、鬼を追い払うのには、「五道大神」という神様が活躍します。

五道大神は五道将軍ともよばれ、これは泰山府君(たいざんふくん)の部下で、冥界の五方の入り口を守る5人の神様です。

泰山府君は、中国独自の山神様で、天帝の孫と伝えられ、生死をつかさどる神様と言われています。

 

泰山府君は後に仏教が入ってからは、閻魔大王と同一視されていますが、もとは中国独自の、別の神様だったんですね。

 

さて、五道大神は追儺の行事には輸入されませんでしたが、日本ではよく知られた別の神様と同一視され、現在でも大変有名なお祭の中に、その名残をとどめています。

 

これについては、また次回以降、お話ししたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

 

 

 

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