はじめに
皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、今日からはまた九州の鬼さん「鬼八」シリーズに戻ります。
鬼八について前回の記事はこちら↓
前回の記事でご紹介したように、高千穂には鬼八については別の視点からのお話も伝わっているのです。今日はそれについてご紹介しましょう。
1.鬼八は異国人だった?
鬼八伝説について詳しく書かれた高山文彦著『鬼降る森』には、地元の伝説として次のようなお話が紹介されています。
昔高千穂神社に住んでいた、真っ赤な顔をした大男が鬼八ではないかという話がある、木から煎じた薬を作って村人に飲ませ、信望があった、イスラエルあたりから来たのではないかと言われている。
「異国人」というのは鬼のルーツとして大変重要なものですが、このお話は、鬼八が異国人であったというのと同時に、「医薬に通じ、信望があった」というところがポイントでしょう。地元の信望を集めていた=その地を征服しようとする権力側(高千穂神話では三毛入野命、阿蘇神話では健磐龍命)にとっては邪魔な存在であったことが示唆されるのです。
2.物語とは、歴史とは
同じく、『鬼降る森』にはこんな話も紹介されています。
高千穂独特の姓に、興梠(こおろぎ)という姓があります。
興梠家は代々、猿田彦を祀る荒立神社の宮司でした。
興梠はかつて神呂木と書き、鬼八に捧げる木のことを言ったそうです。つまりもともとは、興梠氏は鬼八に対して尊崇の念を持っていたことが分かります。これについて、『鬼降る森』の著者の高山氏は、次のように述べています。
「圧倒的な軍勢と武力を誇る侵略者天孫に対して最後まで戦った父祖の記憶を絶やさぬために、興梠一族はあえて「鬼」として語り継いだ。鬼(キ)が木(キ)であり、多くの山々の連なりを表す「岐(キ)」であれば、森とともに行きた父祖の名を「鬼」に擬態させ、為政者である天孫族にたいしてカムフラージュしようとした」
そしてさらに、鬼八伝説が物語として語りつがれた背景については、高山氏はこのように考察しています。
「貧困や差別、敗北の中から物語が生まれてきたのだとすれば、物語など成立しない世界こそ望ましい世界なのである。この世界のどこかにきっと望ましい国があり、たとえその国がこの世になくても、なおそこへ行きたいと乞い願いつづける。そのこころが文学や物語を生み、たとえば一門の栄華と滅亡の悲しみを語り継ぐ『平家物語』のようなものが、落ちのびていった人々の口々に紡がれていったのだろう」
これは「物語」というものが何なのか、ということについての非常に深い考察だと思います。
全てではありませんが、「物語」は「ここでないどこか」を描いたもので、そこには、「ここにない世界」への深い憧憬があります。それは、「ここ」に受け入れがたい哀しい現実があることの裏返しでもあります。勝者の歴史が正史として記録されていく一方、敗者の歴史が物語として語りつがれていくのは、必然と言えるかもしれません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!