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珠下なぎの歴史メモ㉕『鬼滅の刃』の「鬼」についてその5 吸血鬼日本へ

皆さん、明けましておめでとうございます、珠下なぎです。

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皆様にとってもよい年になるようお祈りしております。

 

さて前回の記事で、「鬼滅の刃」は19世紀以降、ホラーの1ジャンルとして確立された「吸血鬼もの」の流れをくむものであるという見方もできることをご紹介しました。

では、この「吸血鬼もの」というジャンルはどのように確立し、広がっていったのか。

また最初に日本にはどのような形で入ってきたのか?
それについてご紹介致しましょう。

 

吸血鬼の人気を不動のものにしたのは、皆さんご存じのブラム・ストーカー作『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)ですが、最初に吸血鬼を文学作品の中で取り上げたのは、ドイツの作家たちで、18世紀には始まっていました。

中でも、かの文豪ゲーテによる『コリントの花嫁』が有名です。

以後、非スラブ系のヨーロッパ人やロシアの作家たちの間で、吸血鬼伝説を文学の中に取り入れることが流行し始めます。その流行に一気に火をつけたのは、最初バイロン作として世に出たポリドリ作『吸血鬼』です。

ロンドンの社交界を舞台に、美しく貴族的で神秘的な青年貴族の外見をした吸血鬼を主人公にしたこの作品は、バイロン卿の背徳的なイメージとの相乗効果で、爆発的な人気を博します。(実際のところは、バイロン卿がプロットを提唱し、それを小説の形に著したのがポリドリだったそうです)

この時の吸血鬼のイメージは、のちのドラキュラ伯爵にも引き継がれています。

 

以後、吸血鬼のモチーフは作家たちの間で頻繁に用いられるようになり、アイルランド人作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュによる『カーミラ』(1872年) などの優れた作品が数多く生まれました。

この作品は美しい女性の吸血鬼カーミラを主人公に、森の城に引きこもって暮らす孤独な貴族の娘マリアとのやや同性愛的な交流と、マリアが吸血鬼に襲われる恐怖を描いたもので、現在も読み継がれている名作です。

美内すずえさんの名作『ガラスの仮面』でも、主人公マヤのライバル・姫川亜弓がカーミラを演じるエピソードがありますので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

そんな中から満を持して登場したのが、ブラム・ストーカーによる『吸血鬼ドラキュラ』です。

ストーカーの吸血鬼ドラキュラは、ポリドリの貴族的で美しく退廃的な吸血鬼のイメージを継承しながら、そのイメージを実在したワラキア公国の王・ブラド3世と結びつけました。

これについては有名な話なのでご存じの方も多いかもしれませんが、次回の記事でもう一度取り上げたいと思います。

 

一方、ポリドリ作『吸血鬼』は、詩人で作家の佐藤春夫氏(1892ー1964)によって初めて日本に紹介されます。

昭和7年に発行された雑誌『犯罪公論』に佐藤氏は、『吸血鬼』と題してポリドリ作の『吸血鬼』の訳文の前半と、ヨーロッパでの吸血鬼の伝承についての解説を載せています。

「吸血鬼」という訳語が初めて使われたのはこの頃だと考えて良いでしょう。

 

以下は私の想像です。日本にはなかったタイプの異形のもの、ヴァンパイアに対して、「吸血魔」でも「吸血男」でも「吸血人」でもなく、「鬼」の字を当てたのは、「鬼」がもともと「モノ」であり、人々の理解の範囲を超える存在に対して使われていた、ということと関わりがあるのではないでしょうか?

この頃にはすでに「鬼」といえばツノを生やして棍棒を持ち、トラの革のパンツを履いた大男、とうイメージが定着していたはずです。

その時代の人すら、未知の異形の存在に「鬼」という字を当てた。これはなかなか興味深いことではないでしょうか?

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

※こちらの記事には訂正があります。ご興味ある方は、こちらもご覧ください。

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