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霧島神宮の隠れスポット「天狗館」②そもそも天狗とは?

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

本日は前回の続きです。

中途半端なところで終わりましたが、今回は日本における天狗の歴史をざっとおさらいしたいと思います。

 

1.古代の天狗

前回の記事でも書いたとおり、もともと中国で天狗といえば「狗」でした。

しかも、唐代ですから、神代の時代の猿田彦に比べれば、ずっと新しいことが分かるでしょう。

日本で「天狗」の名が初めて出てくるのは、『日本書紀』。637年に、唐僧・旻が、隕石衝突について「天狗」と表現しているのが最初です。

また、753年の『年間行事抄』には、黄帝(中国最初の帝とされる神話上の人物)が反逆者を討伐した際、首が天に昇り天狗となり、体は地霊になったという話が伝えられています。

しかし、その後しばらく天狗は日本史から姿を消します。

 

2.天狗の復活

天狗が復活するのは11世紀後半。

『源氏物語』には、山の小妖精=木霊と表現され、また、『今昔物語』では、幻術を使うものとして描かれます。

平安時代には浄土信仰が盛んになり、また、密教も隆盛します。

その頃から、僧をたぶらかす仏敵としての天狗のイメージが固まってきます。仏教に相反するという発想から、慢心して堕落した僧が天狗になるという信仰も生まれるようになってきます。

鼻が高いのは慢心の象徴とも言われていますが、この頃は、まだ天狗の姿は一定でなく、鳥のくちばしのような顔をしたカラス天狗や、僧侶や童子の形をした天狗も描かれています。

「太平記」の冒頭には、かつて権力争いに敗れた権力者たちが天狗となり、天下転覆の相談をしていると場面が描かれますが、この頃には仏敵としての天狗のイメージが確立していたと言えるでしょう。

また、インドのガルーダは、鬼子母神の子の鬼王らの手下で有翼の鬼神ですが、仏教に取り入れられて迦楼羅(カルラ)といいう天部になります。ガルーダはこれ↓

これが天狗のイメージに取り入れられ、鳥と人間の中間のような形をした天狗が生まれるのです。

 

3.人をさらう天狗

天狗には、人、特に少年や幼児をさらうという言い伝えがあります。

今のように保育園が整備されていない時代には、赤ん坊を野良作業に連れ出してかごに入れ、そばで農作業をするということが日常的に行われていました。当然、鷲や鷹などの猛禽類に赤ん坊をさらわれるという事件も起きたでしょう。

これが、「天狗が子供をさらう」というイメージにつながったのだともいわれています。

「天狗が人をさらう」話としては、13世紀ごろ成立の『秋夜長物語』があります。これは、僧たちの寵愛を受けていた稚児を天狗がさらい、やがてそれが山門・寺門の抗争(=天台宗の内部争い)に発展するというお話。

ファンタジーですが、当時の社会情勢を反映したものとも言えます。また、初の男色ものとも言われているそうです。

日本最古のBLファンタジー小説ですね(血が騒ぐ)。

 

天狗についても語ろうと思えばおそらく何回分にもなると思いますが、非常に雑なまとめですみません。

このように、天狗のイメージは平安以降に成立したものであり、神代の時代の猿田彦とはずいぶんルーツが違うことが分かっていただけたかと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

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