皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
NHKの夜ドラ「作りたい女と食べたい女」話題ですね。このブログを書いている時点で、私は6話まで視聴しました。
ネタバレを含みますので、未視聴の方は、6話までご覧になった後で、ぜひまたいらしてくださいね。
1~3話の感想はこちらです。
1.4~6話概要
お互いの家を行き来し、食卓を共にすることが増えた野本さんと春日さん。
4話では、春日さんの運転で、一緒に横須賀の野菜の直売所に出かける二人。
海を見たり、ソフトクリームを食べたりと、休日を満喫します。
楽しすぎて半ばパニックを起こす野本さんが可愛い。
帰ってからは、まるごとかぼちゃでプリンを作ります。かぼちゃの中身をくりぬき、卵液と混ぜて蒸し上げ、冷蔵庫でしっかり冷やしたプリン!
これは絵本「ぐりとぐら」に登場するところの、お鍋いっぱいのカステラに匹敵する破壊力!
まるごとかぼちゃを入手したら、ぜひ挑戦してみたい一品です。
そうやって少しずつ距離を縮めていく二人ですが、お互い「相手の迷惑になっていないかな?」「自分の気持ちを押し付けていないかな?」と遠慮し、恐る恐る相手との距離感を測っている様子があからさまです。
このぎこちなさは萌えますが(笑)、少し切ない気持ちにもなります。
それには、二人が今まで抱えてきた、決して軽くはない思いが深く関係しているからなのです。
2.「作りたい」「食べたい」にこめられた切実な思い
今回、一番大きな盛り上がりを見せたのは6話。
5話で野本さんは実家から帰省予定を尋ねられますが、帰省しないことにします。そして、緊張しながら春日さんに年末年始やクリスマスを一緒に過ごそうと提案。
そして6話では、野本さんが実家から送ってもらった「はらこ飯」を食べながら、お互いの「作ること、食べること」への思いついて語り合うのです。
春日さんの実家は保守的で、お父さんや弟さんのおかずと、お母さんや春日さんのおかずに、品数や量の差があることが当たり前の家庭でした。弟さんが遊んでいても、春日さんは台所の手伝いをさせられ、春日さんはいつもおなかを空かせていました。
「家族の中に序列があること」が耐えられず、春日さんは県外の大学に進学し、そのまま就職して実家には一度も帰っていないというのです。
少し前後しますが、春日さんに野本さんが「春日さんって、卵好きですよね」とほほ笑むシーンがあります。
春日さんが実家の食卓を回想するシーンでは、ハンバーグや野菜が盛られたお皿に、男性陣にだけ目玉焼きが載っています。そして、空腹に耐えられず、夜中に黙って自分で作って食べたのは、目玉焼きを乗せたトースト。
春日さんにとって卵は、満たされなかった思いの象徴。夜中に盗み食いのような真似をしてまで食べたそれを、自然に差し出してくれた野本さんに、春日さんはどれほど救われたことでしょう。
「食べたい私を受け入れてくれてうれしかった」と語る春日さん。それを聞いた野本さんは、思わずもらい泣きしてしまいます。
一方、野本さんは、自分が好きでやっている料理を、「家庭的とかいい奥さんになるとか、すべて男のために回収されるのがつらかった」と告白します。
また、家族との関係は悪くないようですが、母親からの「早く結婚しろ」プレッシャーにも疲れています。
野本さんも、「作りたい私を受け入れてくれてうれしかった」と告白。
二人にとって、「食べたい」「作りたい」は「自分らしく生きたい」という切実な魂の叫びだったのです。
3.男女の非対称性
前回のブログでも書きましたが、この漫画は「同性愛者の生きづらさ」と「女性の生きづらさ」を同時に描いています。
6話まででは「同性愛者の生きづらさ」はまだ描かれていませんが、野本さんの「誰かのために料理を作りたい」「でも男性のためと回収されるのはつらい」「親からの結婚しろプレッシャーがつらい」という言葉の端々から、野本さんが同性愛者であることが示唆されています。
最初、原作の漫画を読んだ時、私は「『同性愛者の生きづらさ』と『女性の生きづらさ』を同時に描いてしまっていいのか?」という疑問を持ちました。けれど、色々考えた末、「この作品はこれでいいのでは?」と思うようになりました。
以前、「女性同性愛者は男性同性愛者よりもさらに声を上げにくい」ということを新聞記事で読んだ記憶があります。
男女同権が進んだとはいえ、まだまだ日本社会は「男性を中心に」考えられています。
春日さんが食事を十分に与えられず、家の手伝いを強制されたり、野本さんが料理好き=良い妻候補のイメージで見られたりするのも、女性は男性の生活を快適にするための存在とされている面が大きいからです。
男性同性愛者は、同性愛者という意味ではマイノリティですが、男性という意味ではマジョリティ。
女性異性愛者は、異性愛者という意味ではマジョリティですが、女性という意味ではマイノリティです。
ところが、女性同性愛者は、同性愛者という意味でも、女性という意味でも二重にマイノリティであることを強いられています。
その分、彼女らが抱えていく生きづらさは、私たちの想像をはるかに超えるものでしょう。
今のところ、この作品は女性の生きづらさを前面に出していますが、これはおそらく、女性である上に同性愛者であることの生きづらさを描くことの伏線だと思われます。
女性同士の恋愛を描いた画期的なこのドラマ。
今後どんな風に二人が人生を共にしていくのか、どんな困難に遭い、それを乗り越えていくのか。
続きが楽しみですね。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!