皆さんこんにちは、珠下です。
今回は前回の続き、茅の輪くぐりの由来についてです。
前回の記事で、茅の輪くぐりの由来となった伝承について、ざっくり説明させて頂きました 皆さんこんにちは、珠下なぎです。 いや、管理人の月那さんのお知らせが続いたので、お久しぶりです……かな? 「遠の朝廷にオニが舞う」の世界をめぐるエッセイは、これでひと段落つきました。 & ... 続きを見る
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さて、蘇民将来のもとを訪れ、茅の輪を授けた旅人とは、一体誰だったのでしょう。
これは、伝承によって異なり、武塔神とする説、スサノオノミコトとする説、牛頭天王とする説の三つがあるようです。
武塔神については、由来ははっきりしないのですが、中国の五道大神をルーツとする説があります。
五道大神は、瘟鬼(=疫病を広める鬼)を退治する神様としての顔を持ちます。 皆さんこんにちは、珠下なぎです。 前回までは、「節分の鬼と古代のオニ」と題しまして、節分の行事の中に受け継がれた、日本でも最古のオニのルーツについてお話してまいりました。 ... 続きを見る
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そして、初期の祇園信仰の対象であったことも知られています。
祇園信仰の対象は最初は武塔神であり、やがて牛頭天王とされるようになります。
祇園信仰は、今の祇園祭のルーツですが、祇園祭の胴元である八坂神社の祭神は、スサノオノミコト。
祇園信仰は、怨霊を鎮めるための祭・御霊会として863年に始まったものですが、以後は疫病を鎮めるための祭として続きます。
その一方で、民間信仰としては、節分のルーツになった疫神信仰は、民間の間では途切れることなく続いていました。
疫神信仰は古代中国由来のものですが、敗軍死将つまり権力争いに敗れた者が疫神となる、という伝承がありました。
御霊会は、早良親王はじめ権力争いに敗れた貴族たちの怨霊を慰撫するものとして始まっており、最初から疫神を鎮める、という性格を持っていたのです。
古代中国で始まった、疫神となった敗軍死将を鎮め、疫病から身を守るという疫神信仰。
それは日本において、もっとも古いオニのルーツとなる一方で、三つの行事に形を変えたのです。
一つ目、民間行事として伝えられた追儺は、節分の由来となりました。
二つ目、御霊会と結びつき、祇園祭の由来となりました。
三つ目、蘇民将来伝説という、日本独自の昔話を生み、それを経て、茅の輪くぐりの由来となりました。
根っこが同じであることを考えると、蘇民将来伝説に登場する神がいずれも、祇園祭と深い関りを持っていることは自然なことだと言えます。
この記事をリアルタイムで見て下さった方は是非、近所の神社を覗いて見てください。
かなり高い確率で、茅の輪に出会えることでしょう。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!