皆さんこんにちは、珠下なぎです。
いや、管理人の月那さんのお知らせが続いたので、お久しぶりです……かな?
「遠の朝廷にオニが舞う」の世界をめぐるエッセイは、これでひと段落つきました。
これからは、「遠の朝廷~」の世界にとどまらず、気になった歴史のネタや、今までのエッセイで書ききれなかった話題について、お話ししたいと思います。
本日は、6月にちなんで「茅の輪(ちのわ)くぐり」についてお話ししたいと思います。
このブログを始めたばかりの頃、古代中国における疫神信仰が、日本の鬼のルーツの一つとなったというお話をさせて頂きました。
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疫鬼を祓う行事は、宮中祭祀の追儺を経て、2月の節分の行事となって現在に受け継がれていますが、実は6月にも、古代のオニにルーツをもつ、疫病払いの行事が現在も行われているのです。
6月の末から7月にかけて、各地の神社で「茅の輪くぐり」と言われれる神事が行われています。
これは、茅で巨大なしめ縄のような輪っかを作り、それをくぐることによって無病息災や開運を神様に祈るという行事です。
見たことがある方も多いのではないでしょうか?
これは、どんな由来を持つのでしょう?『釈日本紀』や『備後国風土記』、『祇園牛頭天王縁起』など、様々な文書に残されており、細部は微妙に異なるのですが、おおまかにいって次のような話です。
昔あるところに、蘇民将来(そみんしょうらい)という貧しいが心がけの立派な人がいました。
ある時、蘇民将来の暮らす村に、一人の旅人が表れて宿を乞います。
蘇民将来の弟は裕福でしたが、それを冷たく断ります。
一方、追い出された旅人を、蘇民将来は丁寧にもてなします。
旅人は感謝し、帰り際に「蘇民将来の子孫であることが分かるように茅の輪を腰につけなさい」と言い残して去っていきます。
それからしばらくして村に疫病が流行ります。
茅の輪を腰につけていた蘇民将来とその家族は助かりますが、他の村人はことごとく疫病にかかって死んでしまいます。
以来、蘇民将来の子孫であることを示し、疫病から逃れるために、茅の輪を玄関に飾る風習ができたといいます。
また、「蘇民将来之子孫也」と書いた札が疫病から身を守るための護符として使われるようになったのも、この話に端を発しています。
蘇民将来の村を訪ねた旅人とはいったい誰だったのでしょう?
実はこれには文書によって違いがあり、オニの重要なルーツである、古代中国の疫神信仰にも関わってきますので、続きはまた次回お話ししたいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!