『神眠る地をオニはゆく』 史跡巡り 作品解説&エピソード

『神眠る地をオニはゆく』裏話その6~作品の舞台編③

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今日は『神眠る地をオニはゆく』の舞台編その③。

基山です。作品のネタバレはありませんが、作品を読んで下さった方には、物語をより楽しんで頂ける内容となっています。それでは。

 

1.基山の概要

ここは福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる、標高404mの山です。

比較的低山で登りやすく、地元の高齢者の方も多く見かけます。

そして、基山といえば、 基肄城跡。天智天皇が白村江の戦いの後、大陸からの侵攻に備えて作らせた山城です。国の特別史跡にも指定されています。

 

2.大宰府方面からの玄関口・北帝門

現在は基山に登るには、水門跡から登るコースが一般的です。山頂までの所要時間はゆっくり歩いて約1時間。ちょうどいい運動コースです。

水門は、排水溝として設けられたもので、すぐそばには海の神=住吉大神が祀られています。

数台ですが駐車場もあり、新しくてとても綺麗なトイレと自動販売機もあります。

 

しかし、山城が使われていた当時、大宰府方面からの正面玄関はこちらではありませんでした。正面玄関と考えられているのはこちら、北帝門(きたみかどもん)です。

ここは未調査・未復元ですが、1300年前の門の跡が、こんなにしっかり残っており、かなり立派な門だったと考えられているようです。

 

ここは、通常の史跡見学コースから外れており、あえて探していかないとなかなか見つけられません。近くにある石柱が目印です。↓

 

北帝門のある道を、やや低い所から見上げたところ。中央の低くなっているところが道。両側に盛り上がっているのは自然のものではなく、土塁です。

 

この道は、天拝山に通じているとの標識があります。つまり、当時大宰府方面から来る人たちは、天拝山からの縦走コースをたどって北帝門にたどりついたと考えられます(整備された現在の縦走コースとは別です)。

天拝山までは行けませんでしたが、いつかこのコース、歩いてみたいです。

天拝山~北帝門に至る道は、地図で見るとかなり等高線が密になり、急な坂であることが分かります。(物語にもこの設定は使われていましたが、分かった方はおられるでしょうか?)。

 

3.基肄城の礎石群

この山城は、山頂とその東の峰を土塁と石塁で囲み、内側に40棟もの建物が配置されていたと考えられています。

こちらは、メインの建物が建っていたと考えられる、山頂近くの大礎石群。

 

可愛い生き物(?)がいる、丸尾礎石群。

 

4.『神眠る地をオニはゆく』、あの場面の舞台へ

そして、『神眠る地をオニはゆく』を読んで下さった方は、「あの場面か……!」ときっと思って下さるであろう、基山山頂。

 

ここに象徴のように鎮座しているのが、タマタマ石。もともとこの山に神を祀っていた時、神を迎える磐座(いわくら)だったと言われています。

この石、実は作品の中に登場していたのですが、分かった方おられますか?

 

ここに祀られていた神は、後に天拝山の荒穂神社に下ろされたと伝えられています。

しかし、筑紫神社にも、基山の神を下ろして祀り直したというお話が伝わっており、両者は同一神とも言われています。

どちらにせよ、ここがかつて神の磐座であり、後に神が山から降ろされたことには間違いはありません。

 

基山の山頂は非常に見晴らしがよく、天気がよければ博多湾まで望めます。

もし大陸から敵がやってきたら、すぐに発見することができたでしょうね。

そして空がとても近く感じられます。物語を読んで下さった方は、ぜひ写真とあの場面を重ね合わせてみてください。

 

山頂近くの駐車場までは、かなりの急坂で、現在は草スキー場になっています(道は別にありますが、最初に来た時は分からず、むりやりここをよじ登りました←バカ)

 

基山に登った時のレポートは、こちらにも詳しく書かれていますので、ご興味のある方はぜひどうぞ! 4番目の記事には、北帝門への詳しい行き方も書いています。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

 

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