歴史 伝統文化・習俗

珠下なぎの歴史メモ⑤七夕伝説とそうめんと疫神信仰

皆さん今日は、珠下なぎです。

いつもご訪問、ありがとうございます。

 

今回は七夕伝説についてお話ししたいと思います。

 

七夕伝説については皆さんご存じですよね。

今更言うまでもないと思いますが、さらっと復習を。

七夕伝説は中国に由来します。この伝説はざっとこんなものです。

 

「天の川の両岸に住む機織り姫と牛飼いの牽牛星が織姫の父である天帝の勧めで結婚しましたが、結婚したとたん二人は仲良くするばかりで仕事をしなくなりました。(←新婚の間くらいいいじゃん……)

怒った天帝は二人を再び天の川の両岸に引き離してしまいました。(←ひどい)すると二人は今度は嘆き悲しんで仕事が手に着かなくなりました。(←そりゃそうでしょ……)

それで天帝は、仕事をきちんとすることを条件に年に1回だけ、7日7日に会うことを許すことにしました。(←年に1回なの? ケチ!)

7日7日には天の川にカササギが白い翼で橋をかけ、二人は1年に1度の逢瀬を楽しむのです。けれど、雨が降れば、天の川の水が増水してしまうため、カササギが橋をかけられず、二人は会えなくなってしまいます」

 

( )は私の勝手なツッコミなのでお気になさらず(笑)。天帝が舅根性丸出しのクソ爺にしか見えませんが、そこはまあ伝説がそうなっていますのでお許しを。

 

ところで、皆さんの地域では、七夕にそうめんを食べる習慣はありますか?

 

私は七夕食=そうめんという認識だったのですが、これは主に東日本の風習だそうです。(ちなみに現在は九州でも七夕=そうめんは一般的なようです)。

 

これ、調べたら、意外に古く、中国の伝説に由来するそうです。

なんと驚くことに、このブログでもさんざん取り上げた、疫神信仰にも関わってくるのです。

 

この伝説は以下のようなものです。

 

「古代中国で7日7日に亡くなった熱病で亡くなった帝の子どもが、霊鬼神となって疫病を流行らせました。

そこでその子が生前に好物だった索餅(さくべい)をお供えしたところ、疫病が収まりました」

 

このブログでは敗軍死将=戦に負けた将が疫神となる、というお話を主に取り上げましたが、疫病で亡くなった子どもが疫神となる、という疫神の由来も中国で伝えられていました。

 

7日7日、という日が一致するだけで七夕伝説とは直接関係のないお話なのですが、これが七夕伝説と共に日本に伝わり、七夕に「索餅」と食べると一年間無病息災で過ごせる、という伝説になったそうです。

 

ところで、この索餅、もともとの伝説では小麦粉を水で練って編み上げ、油で揚げたお菓子だったそうですが、奈良時代に日本に伝わる頃には、小麦粉で練った麺のようなものに変化し、そうめんの原型となったようです。

 

もともとの「索餅」、実は現存するあるお菓子に似ています。

それはこれ、「よりより」。


引用画像:Amazon.co.jp

 

中華菓子として長崎に輸入されていた名残から、今は長崎の名物菓子となっているようです。

 

ちなみに、奈良時代の「索餅」はあの古代ファンタジー「宇宙皇子」の1巻にも登場します。

金剛山を脱走した罪で断崖絶壁に一昼夜吊るされるという罰を受けた10歳の宇宙皇子。

吊るされた木が落雷を受け、絶体絶命となりますが、目覚め始めていた霊力で九死に一生を得、その祝いに特別料理「索餅」をふるまわれます。

この時の「索餅」は、小麦粉を練って棒状にしてゆで、その上に煮野菜をかけた料理とされています。

主食が干飯だった当時の彼らには、大変なご馳走だったようです。

 

さて、七夕は中国の伝説ですが、日本では牽牛星は「彦星」と呼ばれていますね。

それは実は、中国の伝説をさらに発展させた、日本独自の七夕伝説に関わっているのです。

さらにはこのブログで以前取り上げた、イケメンの神様にも。

次回はそのお話をしたいと思います。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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