『遠の朝廷にオニが舞う』 作品解説&エピソード

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉝古代日本と天然痘その3(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

 

前回の続きです。

 

天然痘は、8世紀のパンデミックが収まった後も、日本では何度もパンデミックと収束を繰り返し、江戸時代には誰でもかかる病気として定着します。

 

独眼竜と言われた伊達政宗が、幼少時に天然痘で片目を失ったことは有名ですね。

徳川家光の乳母として権勢をふるった春日局も、天然痘のため顔にあばたがあったと伝えられています。

他にも、源実朝、豊臣秀頼、吉田松陰などが天然痘によるあばたが顔に残っていたことが記録されています。

 

今はあまり使われていないかもしれませんが、「あばたもえくぼ」という慣用句がありますね。

これは、天然痘による醜いあばたでも、恋した人のそれであれば可愛らしいえくぼに見えるという、まさに「恋は盲目」の状態を皮肉ったものです。

この言葉からは、古来より日本では、天然痘によるあばたを残した人々が日常的に見られたこと、天然痘の皮膚病変の瘢痕=あばたが、容姿の魅力を損なうものだと認識されていたことがよく分かります。

 

天然痘は、18世紀末、ジェンナーにより種痘が発明された後、種痘が世界に広がっていくことによって20世紀には絶滅します。

天然痘は、「人類が撲滅に成功した唯一のウイルス」と言われています。

 

種痘は、天然痘ウイルスに類似した牛痘を接種することによって天然痘への免疫をつけるという方法ですが、実はそれよりずっと以前、紀元前から天然痘にかかった人のかさぶたや膿汁を乾燥させて接種することで免疫をつけるという方法は、古代インドに始まりアジア各地で行われていました。

 

これは、種痘に対して「人痘」と呼ばれていました。

ただ、乾燥させたりしてウイルスを多少弱らせたところで、相手は感染力も毒性も非常に強いウイルスですから、実際に天然痘を発症してしまったり、最悪死に至ることも少なくはなかったようです。

 

 

18世紀にはアメリカやイギリスで天然痘の予防法として広まりますが、その当時でも被接種者の死亡率は2パーセントとかなり高い確率だったそうです。

 

日本でも18世紀半ばに中国の医師により人痘が輸入されますが、安全性に問題があり、普及しなかったようです。

 

予防接種において、ウイルスを殺して完全に病原性をなくしたものを不活化ワクチンというのに対して、ウイルスを完全には殺さず病原性を低下させたものを弱毒生ワクチンと呼ぶのですが、人痘は弱毒化されていない生ワクチン……のようなものですね。

 

安全性と天然痘の流行の防止、18世紀の日本と英米は逆の選択をしたようですが、当時の医療水準を考えると、どちらが正しいとは安易に言えないものがあります。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

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