皆さんこんにちは、珠下なぎです。
本日からは「遠の朝廷にオニが舞う」の副主人公・鈴丸の名の由来となった、鈴についてお話ししたいと思います。
「遠の朝廷にオニが舞う」には、鈴丸の鈴について、このように描写しています。
「首からは、三又に分かれた瑠璃子の指の長さほどの鉄の棒の先に、小さな鈴がついている、不思議な道具を紐で下げている。三つの鈴は、鈴丸が歩くたびに涼やかな音色を立てるのだった」
↓電子書籍表紙より
このモデルとなった鈴はこちらです。
↓八栄の鈴
引用画像:諏訪史 第二卷 後編』(信濃教育会諏訪部会蔵版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%A0%84%E9%88%B4
これは、諏訪大社に伝わる「八栄(やさか)の鈴」と呼ばれる鈴です。
同時に、諏訪大社には、銅鐸ならぬ「鉄鐸」が伝わっており、諏訪神社に伝わる神が、製鉄に関する神であったことが示唆されています。
↓鉄鐸
引用画像:諏訪史 第二卷 後編』(信濃教育会諏訪部会蔵版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E7%9F%A2%E6%B0%8F
諏訪神社の縁起を示した、「諏訪大明神絵詞」には、最大の祭である「御立産神事」でこの鉄鐸が使われたことが記されています。
この神事では、行く先々の「湛(たたえ)」で鉄鐸を鉾につけ、振り鳴らしたと書かれています。
「湛」は文字どおり、水を湛えた場所と解されていますが、なぜこのような神事が行われるようになったのでしょうか?
同じく「諏訪大明神絵詞」には、次のような興味深いお話が記されています。
「健御名方命が、悪賊である洩矢神(もれやのかみ)に妨げられた時、洩矢神は鉄輪を持って争い、健御名方命は藤の枝をもってこれを屈服させた」
この争いを持って諏訪大社の最高の神主・大祝(おおほり)は健御名方命の後裔を名乗る神(じん)氏が継ぎ、洩矢神の後裔守矢氏は、大祝に仕える神長官を継承したと伝えられています。
洩矢神は長野県諏訪地方に伝わる神様で、このエピソードからも、製鉄に関する神様であることがうかがえますね。
一方、健御名方命は、神話が好きな方ならご存じでしょうが、大国主の国譲りに際して武御雷(タケミカヅチ)神と争って敗れ、諏訪地方に追われたとされています。
つまり、このエピソードからは、もともと諏訪に住んでいた守矢氏のところに、出雲を追われた国津神たちが侵攻、争いの末に守矢氏が征服され、支配権が出雲系の人々に移ったことが分かります。
ここで思い出してほしいのですが、出雲はヤマタノオロチを退治したスサノオが天叢雲剣を手に入れたことからも象徴されるように、もともと製鉄の盛んな土地でした。
つまり、これは「製鉄民と製鉄民の戦い」でもあったわけです。
ところが、両者の持つ製鉄技術には、重要な違いがありました。
これは、争いの時に使った武器が、出雲族が「藤の枝」、諏訪の守矢氏が「鉄輪」を使った、というところに重要なヒントがあるのです。
そして守矢氏の製鉄方法は、先に挙げた鉄鐸の神事や八栄の鈴から読み解くことができるのですが……。
長くなりますので、続きは次回に譲りたいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!