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神社の成り立ちを分類してみた②

はじめに

皆さん今日は、、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

さて、前回の記事で述べたとおり、たまなぎは、神社の成り立ちを5パターンに分けてみました。

①神籬(ひもろぎ)型……社殿が作られる以前から信仰があり、後に社殿が作られた。宗像大社など。

②封じこめ型……反権力の人や神を、祟らないよう封じ込めた。太宰府天満宮など。

③偉人崇拝型……功績のあった人を、神として祀った。豊臣秀吉を祀った豊国神社や、徳川家康を祀った日光東照宮など。

④勧請型……神々の性格が規定された後、守護やご利益目当てで先に社殿を建て、特定の神を祀った。

⑤その他、特殊型……①~④に分類されない成り立ちを持つもの。霊廟が起源の香椎宮など。

 

本日は前回の続き、③から⑤について解説したいと思います。

偉人崇拝型~日光東照宮・豊国神社

そもそも人間を神として祀る、というのは、怨霊封じ込め型神社の方が先でした。

著名な民俗学者の小松和彦氏が、その著書『神になった日本人』の中で述べていることによると、こういうことだそうです。

祟りを封じ込めるために人を神として祀ると、その人の死の前後に何が起こったかが、神社という建物を通して人々の中に記憶され、語り継がれるようになります。

そこで、この「記憶装置としての神社の機能」に人々が着目し、「ある人の功績を語り継ぐ」ために人を神として祀るようになります。小松氏は、このタイプの神を「顕彰型」の「人神」と呼んでいます。

 

このタイプの神社もまた、細かく分類すれば、「誰かの偉業を強調するために政治的に作られたもの」と「民衆の中で伝説となった人が、信仰の対象となり、やがて神社に祀られるようになったもの」があります。

 

前者には、豊臣秀吉を祀った豊国神社、徳川家康を祀った日光東照宮などがあります。これらはいずれも、故人の遺志によって祀られたものでした。

自分の功績を民衆に浸透させ、語り継がせ、自分が作り上げた支配体制が永遠に続くことを願ったのです。明治以降の、体制側に貢献した人々を祀った靖国神社も、これに分類されると考えていいでしょう。

後者には、安倍晴明を祀った晴明神社などがあります。安倍晴明は陰陽師や民衆の間で語り継がれ、中世以降に伝説として完成していくのですが、その過程であちこちに安倍晴明を祀った塚や社が建てられるようになっていきます。晴明神社もその一つと考えられています。

 

この『偉人崇拝型』の神社は、政治が大きく絡むことも多いので、本来の怨霊への恐れや信仰心といったものから離れ、どうしても「作られた」感が否めません。しかし、多くの国において「祭」と「政」が一致していた時代は歴史の大半を占めています。政治と信仰の関りを考える上では、大変興味深いタイプともいえるでしょう。

 

勧請型~全国の八幡宮・稲荷神など

このタイプの神社は、神々の性格が規定された後、その神の御利益や守護を願って、先に神社を建てて神を招き、信仰のよりどころとしたものです。

宇佐八幡宮を発祥とする八幡系の神社はその代表格です。いえ、宇佐八幡宮自体は古い時代から応神天皇・神功皇后を祀っており神籬型に近いと考えられますが、その後いち早く神仏習合を取り入れて「八幡大菩薩」として広く信仰を集めるようになります。

京都の石清水八幡宮は平安時代前期に大安寺の僧・行教によって宇佐八幡宮から神を勧請して造られたものです。

その後、武家・特に源氏の氏神として信仰を集めました。

源義家が石清水八幡宮で元服し「八幡太郎」を名乗ったことは有名ですね。

後に源義家の父である源頼義は前九年の役の・奥州征伐の前に鎌倉の由比ガ浜に八幡神を勧請します。これはのちに源頼朝によって現在の場所に移されます。これが鶴岡八幡宮です。

このように、「源氏の氏神・守り神」という神の性格が規定された後、その神の加護を願って神をまつる、というプロセスで成立する神社もあり、たまなぎはこれを「勧請型」と呼ぶことにしました(神を招いて祀ることを勧請と言うからです)。

鶴岡八幡宮はこのように由緒がある神社ですが、もっと時代が下ると、商売繁盛を願って稲荷神を祀るなど、現世利益に直結して神を勧請して社殿を建てる、ということが多くなります。

何とも即物的ですねえ。たまなぎ的にはあまりそそりません(笑)。

しかし、もともと怨霊封じ込め型の神社であった太宰府天満宮に受験生が詣でたり、神功皇后への信仰から生まれた神籬型の神社・宇美八幡宮に妊婦が安産を願ってお参りしたり、という風潮を見ますと、この形態の神社は現在の日本人の信仰の形に最も近いのかもしれませんね。

 

その他、特殊型

これらに分類されない神社もあります。

例えば、神功皇后と応神天皇・仲哀天皇を祀った香椎宮は、もともとは仲哀天皇・神功皇后の霊廟=お墓でした。それがのちに神社となったものです(詳しくはこちら↓)

 

そのほかにも、たまなぎの知らない、特殊な由来を持つ神社もあるかもしれません。ご存じの方は教えてくださいね。

 

さいごに

たまなぎは専門家でもなんでもありません。

ひょっとして、すでに同じことを言っている研究者の方がおられたり、間違いがあったりしたらすみません。

ただ、様々な神社をめぐった上で、「こういう分類もできるのかも?」と思っただけです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

(参考文献:小松和彦『神になった日本人』中央公論新社,2020年)

 

 

 

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