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宝満山-宝満山入峯絵巻の世界-展に行ってきた!

はじめに

皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今日は歴史記事に戻ります。

先日、筑紫野市民図書館を訪れて、ちょっと隣の筑紫野市歴史博物館をのぞいてみました。

筑紫野市歴史博物館は、私が「武蔵寺縁起」に出会った場所。これが『遠の朝廷にオニが舞う』のもとになったのですから、私にとってとても思い出深い場所です。

すると、興味深いイベントをやっていました。

 

「宝満山-宝満山入峯(にゅうぶ)絵巻の世界-展」。

宝満山は、大宰府の鬼門として、昔から信仰を集めていた山。『遠の朝廷にオニが舞う』にも、「御笠山」としてその名が登場します。

 

1.宝満山の歴史ざっとまとめ

宝満山と祭祀の歴史は古く、天智天皇の時代に大宰府鎮護と国家繁栄のため、鬼門に当たる御笠山(宝満山)に八百万の神々を祀ったのが始まりとされています。天武2年(673年)には山頂に竈門神社が建立され、以後遣唐使の航海平安などが祈られるようになりました。以後、平安時代に八幡信仰と結びついて栄えましたが、その後衰退、江戸時代になって福岡藩によって復興が行われ、修験者の山として再び栄えるようになったということです。

 

2.初公開の宝満山入峯絵巻

今回の特別展の目玉は、「宝満山入峯絵巻」

筑紫野市指定有形文化財に10年前に登録され、登録10年を記念して、なんと初公開されました!

写真撮影もSNS投稿もOKの表示がありましたので、喜んで写真を撮りまくったたまなぎ。それではご紹介しましょう。

 

これが目玉の宝満山入峯絵巻。山伏の入峯(山から山へ渡り歩く修行の)の様子が描かれています。

 

 

「紙本著色宝満山入峯絵巻」は、市のHPによると、下のようなものです。

江戸時代の明和(めいわ)4(1767)年に行われた宝満山の山伏(やまぶし)の入峯を記録した絵巻で、その様子が克明に描かれていることから、平成25(2013)年に国指定史跡となった「宝満山」の歴史と文化を理解するうえで重要な資料といえます。

(引用元:紙本著色宝満山入峯絵巻(市有形文化財) - 筑紫野市ホームページ (city.chikushino.fukuoka.jp)

 

3.山伏の必携アイテムの紹介

今回は山伏の修行に使われる道具も沢山展示されていました。

上:股木(またぎ)。山中で列の前後に持ち、結界を作るもの。

下:宝剣。儀式において、煩悩を断絶するのに用いる。

 

おなじみのほら貝。合図や指令として使われました。奏でる音階や音の響かせ方が、場面に応じて決められたそう。ほら貝の音色は仏の教えを意味し、魔を祓うとも言われているそうです。

 

手に持っているのは大錫杖。杖としても、儀式の道具としても使われました。頭につける頭巾(ときん)は山中の瘴気から身を守ります。山伏独特の衣は鈴懸と呼ばれ、市松模様は宝満山の山伏の特徴でしょう。

前に四つ、後ろに二つついた房は梵天と呼ばれ、色が位階を意味するそうです。

みんなちゃんと、名前と意味があるんですね。

 

これはご存じの方も多いかと。(おい)。道具を入れて背負います。

 

は昔は山中を切り開く実用的な意味があったそうですが、今は儀式の時だけに用います。

 

の音は魔を祓うとされます。右に見えるのは閼伽と言われる桶。

 

鹿の敷物。位の高い導師が敷物として用いたそうです。

 

山伏のイメージとはちょっとかけ離れた、華やかな孔雀の羽でできた箒扇。儀式のときに導師の腰に差すそうです。

 

最多角(いらたか)念珠。通常の数珠のように珠が丸くなく、そろばんの珠のような形をしています。

 

これはまた別の宝剣

 

短い錫杖はゆすって鳴らし、お経を読む調子を整える時などに用いたそうです。

 

上:火扇。護摩壇の火を扇ぐのに用います。

下:角塔婆(かくとうば)。山で亡くなった時に墓標とするため、これを持ち歩く山伏もいます……って、自分が亡くなった時に埋めてもらってこれを墓標にするのでしょうか? 修行は命懸けだということですね。

 

博物館の出口には、可愛いつくしちゃん(瑠璃子姫をモデルにした筑紫野市のゆるキャラ)。

拙著『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』の主人公瑠璃子姫もなかなかぶっとんでいますが、オリジナルの瑠璃子姫もかなりのおてんばさんのようですね。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

 

 

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