皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、間にチェリまほ記事や新刊情報を挟んでいるので、なかなか進まない筥崎宮シリーズです。
筥崎宮のシンボルともいえる「敵国降伏」の御宸筆(ごしんぴつ)。
蒙古襲来の時に始まったものとよく誤解されますが、始まりは蒙古襲来よりも350年以上前の921年。今回もこの謎を追うことに致しましょう……けれどその前に、「八幡宮とは何か」をおさらいしておかなければなりません。なぜなら、これは、「敵国」の正体を考えるのに、避けて通れない問題だからです。
1.そもそも八幡宮とは?
前回紹介した、宇佐神宮の御託宣集にもあるように、大分八幡宮は、筥崎宮の元宮でもあると同時に、宇佐八幡宮の元宮でもあります。(前回の記事はこちら)
宇佐八幡宮は八幡宮の総本山であり、筥崎宮は日本三大八幡宮の一つでもあります。
この、「八幡宮」という名称は、よく聞きますが、そもそも何なのでしょう?
Wikipediaには、こう書かれています。
現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の神霊で、欽明天皇32年(571年)大神比義命(おおがのひぎのみこと)によって、宇佐の地に示顕したと伝わる[3][注 1]。応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている。 (Wikipediaより引用)
応神天皇の神霊=八幡神が宇佐の地に571年に現れたのが始まりなので、宇佐神宮が全国の八幡宮の総本山とされているのですね。
八幡神は、神仏習合が進む中で、八幡大菩薩とも称されるようになります。
これには、弓削道鏡事件にかかわる、宇佐神宮の神託事件も関わってきますが、長くなるのでここでは割愛します。
(神仏習合についての記事はこちら↓)
八幡神は、以後、仏教の守護神としての位置づけられるようになります。
三韓征伐に関わった神々であることから、平安時代頃から、京都の石清水八幡宮などで武門の神様として信仰を集め、後に源氏の守り神となります。
奥州征伐で活躍した源頼義は鎌倉に八幡大神を勧請して鶴岡八幡宮を建立していますし、その子である源義家が「八幡太郎」を名乗ったことは有名ですね。
さらに鎌倉に幕府を開いた源頼朝が、鶴岡八幡宮を厚く守護していたことはさらに有名です。
2.放生会の恐ろしい由来
三韓征伐に関わった神である八幡大神。それは後に武門の守護神となります。
それだけでも猛々しい印象を与える八幡大神ですが、実は宇佐神宮そのものにも、筥崎宮にも、武門の神としての性格を強く残している行事が受け継がれています。
そしてそれは、平安時代よりもさらに古い時代――古代から奈良時代の、血なまぐさい歴史に基づいているのです。
三韓征伐に関わった、という神話時代の伝説が、平安時代になって都合よく利用されて武門の守護神となったわけではなく、そこには連綿と続いている、八幡大神の恐ろしい側面があったのです。
その行事の名は、「放生会」。
筥崎宮の放生会は、「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りとされています。
参道に露店が出たり、様々な神事が行われたりと盛り上がるお祭りなので、福岡在住の方はよくご存じでしょう。
どちらかというと仏教的な側面が強く感じられるキャッチフレーズになっていますが、元になった宇佐神宮の放生会には、恐ろしい起源があるのです。
宇佐神宮のHPには、こう書かれています。
奈良時代のわが国は、中国の唐(とう)にならって、律令国家の建設を進めていました。しかし、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人(はやと)はその中に組み込まれることに強く抵抗しました。『八幡宇佐宮御託宣集』(以後『託宣集』という)には、8世紀のはじめころに起きた隼人の反乱を制圧するため、八幡神を神輿(みこし)に乗せ、宇佐の人々も参加されたことが記しています。
八幡宇佐宮御託宣集
その歴史は、宇佐神宮の重要な祭礼(さいれい)である「放生会(ほうじょうえ)」として今日に伝えられており、隼人との戦いで殺生の罪を悔(く)いた八幡神が、仏教に救いを求めたことに起因しています。これを契機に、宇佐での神と仏が習合した先進的な思想が成立しました。
これから分かることは、宇佐神宮の八幡大神自身が、隼人の鎮圧に大きく関わっていたということです。
隼人は、大和朝廷側から見た、南九州の異民族です。
古事記にある「海幸山幸」神話の海幸彦は、隼人をモデルにしたものと言われていますし、その後も奈良時代に至るまで、隼人は頻繁に大和朝廷の武力衝突を繰り返し、鎮圧されました。
『宇佐神宮御託宣集』の記述によると、700年頃に起こった隼人の乱では、1400人以上の隼人が殺されたとされていますし、抵抗の強い隼人たちに勝つため、だまし討ちのような手段を用いて彼らを殲滅したこともにおわされています。
また、殺された隼人たちは怨霊となり、疫病を蔓延させたことが、放生会の起源となったことも書かれているのです。
これらの歴史を踏まえて、次回は「敵国降伏」の真意に迫ることに致しましょう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!