『遠の朝廷にオニが舞う』 歴史 作品解説&エピソード

珠下なぎの歴史メモ㊴「磐井の乱」における九州諸豪族の動きと磐井の最期

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、本日の記事は歴史メモです。

筑紫の君磐井(いわい)については、このブログでも既に繰り返し取り上げてきました。

西暦527年、継体天皇の時代に起こった磐井の乱。これは、日本書紀には「磐井が新羅から賄賂を受け取り、朝鮮半島への進軍を妨害した」と書かれていますが、実際のところは、大和王権からの度重なる人的・物的な協力要請に耐えかねた九州の諸豪族が起こした反乱という見方もされています。

日本書紀には、磐井以外の九州諸豪族の動きについては詳しい記述はありません。けれど、他の文書に残された記録や、考古学的な証拠などから、現在ではかなり具体的な推測がなされるようになっているようです。2022年出版の『筑紫と南島』(角川選書・シリーズ『地域の古代日本』)に、最新の研究結果がまとめてありましたので、今回はそれをご紹介したいと思います。

 

1.九州諸豪族と推測された動き

①筑紫火の君

筑紫火の君は、『日本書紀』に「別(こと)に筑紫火君(つくしひのきみ)<百済本記(くだらほんぎ)>に云はく、筑紫君の児(こ)、火中君(ひのなかのきみ)の弟(いろせ)なり>を遣わす」とあることより、筑紫君と婚姻関係にあったと考えられています。火の君は肥後地方を中心に活躍していた豪族であり、筑紫地方と共通する文化を持っていました。

「岩戸山歴史文化交流館」の展示では、磐井の乱の際、「筑紫の君・火の君・豊の君連合軍」が朝廷軍と戦ったとしており、地元の研究者はこの三人の首長が磐井の乱の際に協力関係にあったと考えているようです。

しかし、火の君は、磐井の乱後、筑紫の君の勢力が後退した後を受けて、筑紫や肥前(佐賀地方)に進出しています。このことから、磐井の乱において最終的には朝廷側についたと考える研究者もいるようです。

②胸肩(むなかた)(胸形・宗像)君

胸肩君一族は、主にその航海技術を持って古くより大和朝廷と協力関係にありました。「神宿る島」として世界遺産に登録された沖ノ島での調査の結果などからは、大和朝廷と協力して航海の安全を祈る儀式を行なっていたことがわかっています。

胸肩君の勢力範囲では磐井の乱後、大型古墳の築造が見られています。

磐井の息子・葛子(くずこ)が帝に差し出したことで死罪をまぬかれたという糟屋の地は、現在の糟屋郡から古賀市周辺と考えられており、磐井はこの地を足がかりに玄界灘への進出を伺っていたという見方もできます。胸肩君と磐井は、玄界灘をめぐっては対立関係にあったのかもしれません。

以上のことから、胸肩君は磐井の乱については磐井には協力せず、乱後に勢力を伸ばしたと考えられています。

③水沼君(みぬまのきみ)

水沼の君は、胸肩一族と同じ神を奉じ、沖ノ島祭祀にも関わっていました。

現在の有明海沿岸を本拠地とした豪族で、磐井の配下にあって外交に携わっていました。

『日本書紀』に雄略天皇十年には、呉からもたらされたガチョウが水沼の君の犬に食われて死んだので、水沼の君は鴻(かり)と養鳥人(とりかい)とを献上して天皇から罪を許されたとあり、天皇家と結びつきが強く、また外交に関わっていたことが分かります。景行天皇十八年には、磐井の勢力圏にある八女県の神について景行天皇がたずね、それに筑紫の君ではなく水沼の君が答えたとされており、これは磐井の乱後、水沼の君が勢力を拡大したことを物語っているという考える研究者もいます。倭王権や胸肩とともに水沼の君が磐井を滅ぼしたという見解さえあるそうです。

④壱岐の豪族

壱岐には長崎県内の古墳の6割が集中し、有力な豪族の存在を物語っています。

『先代旧事本紀』の記述からは、磐井の乱で上毛布直(かみつけふのあたい)が磐井を討ち、その功績によって伊吉嶋造(いきのしまのみやつこ=壱岐の国造)に任じられたとあります。

④豊の君

豊の君は、大分県を中心に活躍していた豪族です。大分県臼杵市の臼塚古墳・下山古墳からは石甲(頭部のない武人型石人)が発掘されており、筑紫の君と文化を共有していたことが分かります。

『筑後国風土記』逸文では、磐井は討たれず、豊前国に逃げたと伝えられています。これは私の感想ですが、この事実からは豊の君は最後まで磐井を裏切らなかったのかもしれないとも思えます。

下の地図に大変大雑把ですが、各豪族のおおよその本拠地の位置をまとめています(勢力範囲を正確に反映したものではないのでご容赦下さい)ので、ご参照下さい。

 

2.磐井の最期

これらの事実から、九州の豪族は決して一枚岩ではなく、磐井に協力したのは直接婚姻関係を結んでいた豪族・本拠地である八女から糟屋を結ぶ交通路周辺の豪族・新羅系の渡来人であったと考えられています。

ですから、磐井の乱は、磐井を中心とした九州独立戦争とまではいかず、筑紫の国を中心とした諸豪族の独立を目指しての乱くらいの見方が妥当なのかもしれません。

『日本書紀』では磐井は討たれたことになっていますが、『筑後国風土記』逸文の記述は岩戸山古墳の様子を正確に記述しており、それが岩戸山古墳の同定につながったことからは、『筑後国風土記』の方が信憑性があると考えたくもなりますね。

磐井が故郷を守ろうとした英雄として地元で語り継がれているのは事実であり、磐井に生きていてほしいという願いが『筑後国風土記』にも反映されたのかもしれません。

少しネタばらしになりますが、拙著『遠の朝廷にオニが舞う』では磐井の最期について、ある一つの空想を盛りこんでいます。磐井は物語のキーパーソンでもあります。興味を持ってくださった方は、ぜひお手に取ってみてくださいね。

筑紫の君磐井についてはこちらの記事でも扱っています。興味のある方はご参照ください。

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最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

参考文献『筑紫と南島』(吉村武彦、角川選書660 シリーズ地域の古代日本、2022)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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