皆さんこんにちは、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
最近は水曜が推しネタ、土曜日が歴史ネタのサイクルが確立されつつありますね……といっても今後どうなるかは分かりませんが(笑)。
今日はちょっとイレギュラーな歴史ネタ。
先日Twitterで、フォロワーの方と話していて、ちょっと面白い気付きを得られたので、そのお話をしようと思います。
今回の話題は「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう・ひゃっきやこう)」について。
百鬼夜行とは、「鬼や妖怪などが群れ歩いているとされており、『百鬼夜行に遭った』という表現などがとられることもある。経文を唱えることにより難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼たちが逃げたり、いなくなったりする話が一般的で、仏の功徳を説く説話でもある。平安時代から室町時代にかけ、おもに説話に登場しており、多くの人数が音をたてながら火をともしてくる様子、さまざまな姿かたちの鬼が歩いている様子などが描写されており、これに遭遇することが恐れられていた」(ウィキペディアより)。
説話の中で有名なのは、『今昔物語』に登場するところの、安倍晴明にまつわるお話でしょう。
これはこんなお話です。
「安倍晴明が若かった頃、夜間、師の賀茂忠行のお供をして歩いていました。その際、いち早く複数の鬼を発見した晴明は、寝入っていた忠行を起こして事態を報告します。忠行は術により鬼を退けることができ、このことによって忠行は晴明の才を見抜き、陰陽道を教えました」
先日、とあるフォロワーの方と、鬼に造詣の深いことで知られる加門七海先生のツイートにぶら下がってお話しておりましたら、「百鬼夜行のデモ」というご発言をされたのです。
最初???と思っておりましたが、よく考えたらぴんときました。それはこういうわけです。
以前、鬼のルーツの一つは、朝廷にまつろわぬ民だったと書いたのを覚えておられる方はおられますでしょうか?
また、河童のルーツの一つは河原などに住む「河原者」と言われる被差別民であったこと、古代に天皇に従わない部族を土蜘蛛と呼んだことなどから、日本の歴史においては身分卑しいとされたものや朝廷との戦いに敗れたものを鬼や妖怪の姿に貶めるという傾向がありました。
里に住むことを許されず、河原で獣の解体や罪人の処刑など、人が嫌がる仕事に就かされた河原者。
鬼と呼ばれた製鉄民の末裔。
定住する場所を持たない芸能民。
いわゆる中世の賎民と呼ばれる人々です。
彼らは人として見なされず、貴族はもとより里や町に住む一般庶民からも差別を受けていました。
まして当時は、昇殿を許された五位以上のものでないと、まともな人間とはみなされなかった時代です。
百鬼夜行は差別され、抑圧されたものたちが群れをなして都を練り歩く姿。
ここから、何か政治的なメッセージが読み取れないでしょうか。
「百鬼夜行は圧政に耐えかねた被差別民のデモではないか?」
そんなふうに私が書き込みましたら、件のフォロワーさんもかねてからそんなふうに思っていた、とこのことでした。
これを現代に当てはめてみたらどうでしょう。
国会議員や大企業の経営者やそれにつながる人々(いわゆる「上級国民」)を昇殿を許された殿上人とすると……我々一般人は人ですらない。
こう考えると、外国と違い、デモが政治に影響を与えにくいのもうなずけます。
平安時代と同じく、デモは「人ならぬものの声」に過ぎない。
この国の為政者の意識というものは、千年前から少しも変わっていないのかもしれませんね。
今日のお話は私とフォロワーさんがTwitter上でお話した内容から、私が勝手に考えたことなので、「百鬼夜行が庶民のデモだった!」という学説が存在するわけではありません。悪しからずご了承ください。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!