『遠の朝廷にオニが舞う』 作品解説&エピソード

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉟「武蔵持縁起」が生んだ伝統行事(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

 

前回は福岡県筑紫野市のゆるキャラ「つくしちゃん」を中心に、「遠の朝廷にオニが舞う」のもとになった「武蔵寺縁起」の世界が、今でも筑紫野市の方たちの生活の中に生きているというお話をさせて頂きました。

 

ところで、武蔵寺(現在は「ぶぞうじ」と呼ばれています)には、武蔵寺縁起に由来をもつ行事が、今でもいくつも受け継がれているのです。

 

まず一つ目が4月29日・昭和天皇の誕生日の祝日に行われている藤まつり。

「武蔵寺縁起」の「縁起絵図」の中に、虎麿がこの地に紫の藤を植え、薬師仏の盛衰はこの藤の栄枯にあると言った、という記述があります。

 

記述のとおり、武蔵には、樹齢1300年と伝えられている、それはそれは大きな藤の木があって、春になると毎年今でも見事な花を咲かせます。

↓武蔵寺の藤

最初は釈迦の誕生を祝う花まつりに行われ、藤の開花を祈念していたそうですが、藤の花盛りの時期を来訪者に見てもらうため、4月29日に行われるようになったそうです。

武蔵寺に隣接する天拝山歴史公園に沢山の出店が出たり、野外ステージででちくしちゃんがダンスを披露したりと、毎年大変な賑わいを見せているそうです(残念ながら去年は開催されなかったようです、今年も中止が決まってしまいました)。

子どもたちが稚児に扮する稚児行列もとてもかわいく、大人気だそうです。

 

二つ目は、7月の土用の丑の日に行われる瓜封じ。

武蔵寺縁起には記述がないのですが、武蔵寺には、虎麿の娘瑠璃子が疫病にかかって苦しんだ時、「薬師如来に瓜を封じて祈願すれば、武蔵寺の東方に紫の雲がたなびく。その場所に病を癒す温泉がある」と一人の僧侶が告げたという伝説があるそうです。瓜の記述以外は武蔵寺縁起にも残されています。

行事としては、願い事を書いた紙を瓜に挟んで薬師如来に捧げると、1年間願い事が叶う、というものだそうです。

 

三つめは、地蔵会。

虎麿は朱鳥元(686)年10月15日に亡くなったのですが、亡くなる前に自分の遺体に甲冑をつけさせて薬師堂の傍らに葬り、毎年命日に法会を営むように遺言しました。

武蔵寺には永禄3(1560)年以降の地蔵会の記録が今でも残されているそうです。

この行事は公開されているものではないので見学することはできないようですが。|

 

 

このように、1300年も前の伝説「武蔵寺縁起」は現在にも受け継がれていることが分かります。

福岡市からのアクセスも良いので、お近くの方はぜひ一度、いかれてみてはいかがでしょうか?

「遠の朝廷にオニが舞う」の世界を肌で感じることができますよ。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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