目次
はじめに
みなさん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます。
先日発売の『たまなぎと読む「酒呑童子」』、楽しんで頂けていますでしょうか?
さて、今日は久しぶりに社会派映画を見てきました。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』
少し長くなりますが、本日はこれについて書こうと思います。
映画の概要――戦争の「加害者の傷」を描いた作品
映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、塚本晋也監督が、ベトナム戦争に従軍した元海兵隊員アレン・ネルソンさんの実体験をもとに映画化した作品です。
原作は、アレン・ネルソンさんが自身の戦争体験を綴ったノンフィクション。戦争の被害を受けた人々の苦しみを描く作品は数多くありますが、本作が真正面から向き合うのは、戦場で人を殺した側の傷と、その後の人生です。
監督・脚本を務めるのは、『野火』『斬、』『ほかげ』など、戦争や暴力、人間の内面を描いてきた塚本晋也監督。アレン・ネルソン役をロドニー・ヒックス、彼の治療にあたる精神科医ニール・ダニエルズ役をジェフリー・ラッシュが演じています。
物語の中心にいるのは、貧困や差別から抜け出すために18歳で海兵隊に入隊し、ベトナム戦争に従軍したアレン・ネルソン。戦場から帰還した彼は、戦争の記憶に苦しみ、日常生活さえままならなくなっていきます。
戦場で何を経験し、何をしてしまったのか。そして、帰還後も消えることのない記憶と、どう向き合っていくのか。
戦争の恐ろしさを、戦場だけでなく、戦争が終わった後の人間の人生まで含めて描いた作品です。
※ここから先はネタバレを含みます。
映画を観て感じたこと
加害者側の被害を、ここまで詳細に描いたことへの感動
この映画を観て、まず強く心を動かされたのは、戦争で人を殺した側の苦しみを、非常に詳細に描いていることでした。
戦争映画というと、空襲や爆撃、家族を失う悲しみ、戦場で命を奪われる人々の姿など、被害を受ける側の視点で描かれることが多いです。もちろん、それらも、決して忘れてはならない大切な記録です。
しかし、この映画は、戦場で人を殺した人間もまた、戦争によって深く傷つき、その後の人生を壊されてしまうことを描いているのです。
人を殺したのだから、苦しんで当然だ。そう簡単に割り切れるものではないのです。殺された人にも、その人を愛する家族にも、失われた人生があります。それを思う加害者の苦しみを描くことは、被害者の苦しみを軽く扱うことではないはずです。
むしろ、加害者が何を経験し、どのように人を殺すようになり、戦争が終わった後に何を抱えて生きているのかを知ることは、戦争そのものをより深く理解することにつながるのではないでしょうか。
人を殺したという事実は消えない。それでも、殺した人間もまた、戦争によって人間としての何かを奪われてしまうのです。
その矛盾から目をそらさずに描いたことに、たまなぎは深く感動しました。
戦争体験を語ることは、決して簡単ではない
アレン・ネルソンさんは、戦争から帰還した後も、戦場の記憶に苦しみ続けます。
何気ない音やにおいが、突然、過去の光景を呼び起こします。戦争は終わったはずなのに、彼の中では終わっていない。周囲の人たちと同じように日常を送ることさえ難しくなっていきます。
戦争体験を語り継ぐことは大切だ、と私たちはよく言います。しかし、実際に体験した人にとって、それを語ることはどれほど苦しいことなのでしょう。
語るためには、思い出したくないことを思い出さなければならない。自分が何をされたかだけではなく、自分が何をしてしまったのかとも向き合わなければならないのです。
しかも、自分の言葉が相手に伝わるとは限りません。理解されないかもしれないし、責められるかもしれない。自分自身でさえ、経験したことをどう受け止めればいいのか分からないこともあるでしょう。
戦争体験を語るということは、単に、過去の出来事を説明するということだけではありません。自分の言葉で戦争体験を語るためには、自分の中に封じ込めてきたものを、もう一度、自分の目の前に引き出し、とらえ直さねばなりません。
だからこそ、体験を語ってくれる人の言葉を、私たちは簡単に聞き流してはいけないのです。語ることができるようになるまでの長い時間や、語ることそのものの苦しさにも、想像力を向けたいと思いました。
医師との対話を通して、自分を取り戻していく
心療内科医であるたまなぎにとっても大変印象的な場面でもあり、本作で大きな意味を持っていたのが、ネルソンさんとダニエルズ医師との、くり返される対話の場面でした。
ネルソンさんは、戦争の記憶に苦しみ、自分自身を保つことさえ難しくなっています。そんな彼に対して、医師はただ症状を治そうとするだけではなく、彼の話を聞き、彼が抱えてきたものに、全身全霊で向き合おうとします。
人は、自分の中に抱えている苦しみを、誰かに話すことで、少しずつ整理できることがあります。もちろん、話せばすべてが解決するわけではありません。消えない記憶も、取り返しのつかない過去もあります。
それでも、自分の話を聞いてくれる人がいること、自分が何を経験したのかを誰かと共有できることは、失いかけていた自分を取り戻すための、大切な一歩になる可能性があるのです。
医師との対話を通して、ネルソンさんが少しずつ自分自身を取り戻していく過程は、観ていて胸を打たれました。
医師が何度も繰り返す「なぜ、人を殺したのか」。ネルソンさんは、最初「なぜそんなことを聞く?」「戦争だから仕方なかった」と立腹さえします。しかしそれは、ネルソンさんが自分を取り戻すために、大変重要な問いでした。
戦場で人を殺すことを学ばされ、帰還後はその記憶に苦しみ、人間らしく生きることさえ困難になってしまった人が、再び自分の言葉を持ち、自分の人生を生きようとします。
それは、単に病気が治っていくという話ではありません。戦争によって傷つけられた人間が、もう一度、人間として生き直そうとする物語なのです。
終盤で明かされますが、実は当時、戦争体験者のPTSDには確立された治療法はありませんでした。ネルソンさんと同じく、医師も全身全霊で、ネルソンさんに向き合っていたのです。それがどれくらいのエネルギーを要したのか。想像もつきません。
義理の息子に、自分と同じ経験をさせたくない
くり返される惨い戦争の記憶、そしてフラッシュバック。映画が進むにつれ、見ている方も心を切り刻まれるような気分になっていきます。
そして、それはある場面で一気に噴出しました。まるで、切り刻まれた心から吹き出した血が、涙になってあふれ出したとでもいうように。
それは、ネルソンさんが義理の息子に自分と同じような戦争体験をさせたくないと願い、海兵隊への入隊パンフレットを生徒へ配る学校に、自分の戦争体験を語らせてほしいと頼む場面でした。
自分の過去を語ることは、ネルソンさんにとって決して容易なことではなかったはずです。思い出すことさえ苦しい経験を、人前で語る。医師のように自分を理解しようとしてくれる人の前ではなく。それは、自分の傷をもう一度開くようなことでもあったでしょう。
それでも、彼は語ろうとしました。
経験したことを、次の世代には経験させないために。
自分の苦しみを分かってほしいというだけではありません。自分と同じ苦しみを、これから生きていく若い人たちに味わわせたくない。自分の経験を伝えることで、戦争を防ぐことにつながるのなら、語りたい。
ネルソンさん自身も、海兵隊員だった義父が情緒不安定になり、家族に暴力をふるうことにずっと傷ついていました。そして、自分もその義父と同じになりかけていることに気づいていたのです。これを息子の代にまで連鎖させてはならない。
戦争体験を語り継ぐことの意味が、そこに凝縮されているように感じました。
体験を語ることは、過去を振り返るためだけのものではない。過去を未来につなぎ、同じことを繰り返さないための行為でもあります。
ネルソンさんは、戦場で人を殺した経験を消すことはできない。それでも、その経験を誰かの命を守るために役立てようとすることはできる。
自分が経験した地獄を、次の世代に引き継がせない。そのために、自分の傷を抱えながら語ろうとする。
その姿に、人間が過去と向き合い、そこから何かを生み出すことの意味を教えられた気がしました。
戦争は、加害者も被害者も人間ではなくしてしまう
この映画を観ながら、何度も考えさせられたのは、戦争が人間を変えてしまうということでした。
戦場では、人を殺すことが求められる。相手がどんな人間なのか、どんな暮らしをしてきたのか、家族がいるのか。そうしたことを考えていては、自分が生き残れない。
目の前の相手を、自分と同じ人間だと考えないようにする。そうしなければ、自分が人を殺すことに耐えられないからです。
ベトナムに送られる前、ネルソンさんは沖縄で訓練を受けます。そこで最初に「アジア人を人間と思うな」という教育を受けます。そのとおりに、休日は町へ繰り出し、飲んで騒ぎ、性産業の従事する女性に暴行し、タクシー代を踏み倒して運転手に暴力をふるう。そうやって、「暴力への抵抗」を薄れさせられるのです。この場面は、日本人としてとても心が痛かった。
そして、実際に送られたベトナムでは、ベトナム人の人々がむごたらしく殺戮されてしまう様を、この映画は徹底的に描いて言いました。子どもも赤ん坊も、年よりも、ベトコンと疑われただけで容赦なく殺され、生活を破壊されていくのです。
戦争は、被害者から人間らしく生きる権利を奪うだけではない。加害者にも、人間としての感覚や良心を麻痺させることを強いるのです。
もちろん、加害者が受けた傷によって、被害者が受けた傷が帳消しになるわけではありませんし、両者の苦しみを単純に同じものとして扱うこともできません。
それでも、戦争が人間を人間でなくしていくということを、私たちはもっと真剣に考えなければならないのではないでしょうか。
戦争が終わったとき、そこに残るのは勝者と敗者だけではない。失われた命、壊された人生、消えない記憶、そして、以前と同じ自分には戻れなくなった人たちがいる。
戦争とは、そうしたものを生み出し続けるものなのだと、改めて感じました。
それでも、人間の残酷さから目をそらさない
ただし、この映画は、ネルソンさんを単純に「戦争の被害者」として描いているわけではありません。
戦争によって傷ついた人間の苦しみを描く一方で、人間がどこまで残酷になれるのかということも、容赦なく描いています。
作中には、殺したベトナム人の耳を切り取って記念にする兵士の姿も登場します。
その描写には、強い衝撃を受けました。
戦場という極限状態が人間を変えてしまうことは確かでしょう。しかし、だからといって、そこで行われる残虐な行為がなくなるわけではありません。戦争によって感覚が麻痺し、人の命や身体が尊重されなくなったとき、人間はここまで残酷になれるのでしょうか。
この映画は、戦争が人間を傷つけるということだけでなく、人間が他者に対して行う残酷さも、正面から描いています。
ネルソンさんのように、苦しみながらも自分の経験を語り、次の世代を守ろうとする人がいる。一方で、他人の命を奪ったことを記念品のように扱う人もいる。
同じ戦場にいても、人間のあり方は一様ではありません。
だからこそ、戦争という状況が人間に何をさせるのかを考えることと、そこで一人ひとりが何をしたのかを見つめること、その両方が必要なのだと思います。
加害者の傷を描くことは、加害の責任を曖昧にすることではありません。むしろ、人間が何をしてしまうのか、その行為がどのような状況で生まれ、どんな傷を残すのかを、目をそらさずに考えることなのだと思います。
この映画が胸に迫るのは、ネルソンさんの苦しみに共感させるだけで終わらず、人間の中にある残酷さや暴力性まで見せてくるからです。
なぜ、貧しい人や黒人が戦場に行かなければならなかったのか
もう一つ、この映画で浮き彫りになるのは、誰が戦場へ送り込まれるのかという問題です。
ネルソンさんは、貧困や差別から抜け出すために18歳で海兵隊に入隊しました。
彼は、自らの意思で軍隊に入ったと思っています。しかし、その選択肢の背景には、貧困や人種差別という厳しい現実がありました。
十分な教育や仕事の機会があり、将来に希望を持てる環境に生まれていたら、彼は同じ選択をしたののでしょうか。
もちろん、貧しい人や黒人がすべて同じ理由で軍隊に入るわけではないし、個々の選択を一つの理由だけで説明することもできません。それでも、社会の中で不利な立場に置かれた人ほど、軍隊に入ることを現実的な選択肢として考えざるを得ない状況がある――これは「経済的徴兵制」とも呼ばれています。
戦争を決めるのは誰なのか。そして、実際に戦場で命を危険にさらし、人を殺すのは誰なのか。
政治や国家の判断によって戦争が始まっても、その代償を最も重く背負うのは、必ずしもその決定に関わった人々ではありません。
戦場に送られる若者たちにも、それぞれの人生があり、夢があり、家族がある。彼らが生まれ育った社会の貧困や差別が、戦争への道と無関係ではないとしたら、戦争を考えるときには、戦場で起きることだけでなく、その前にある社会の構造にも目を向けなければなりません。
ネルソンさんはベトナムで出会った、ある捕虜の言葉に動揺します。
「自分は自分たちの自由のために戦っている。なぜおまえたちは、自分の国で自分たちの、黒人の自由のために戦わないのか」と。
ネルソンさんの人生を通して、この映画は、戦争とは単に国と国が争うことではないのだと訴えているように感じました。社会の中にある不平等や差別が、個人の人生を戦争へと向かわせることもあるのだと。
そして、戦場で人間性を失うような経験をした後、その傷を背負わされるのは、結局は一人ひとりの人間なのです。
ネルソンさんは、その後日本を始め多くの地域で戦争体験を語りますが、ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤の影響で多発性骨髄腫を発症し、61歳の若さでこの世を去ります。国は決して、ネルソンさんを守らなかったのです。
もっと多くの人に観てほしい
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、観るのがつらい場面もある映画です。戦争の残酷さから目をそらしたくなる瞬間もあります。
それでも、私はこの映画を観ることができて本当によかったと思います。
戦争の被害を忘れてはならないのはもちろんのこと、加害者の側で何が起きていたのか、戦争が人間の心をどのように変えてしまうのか、そして、戦争が終わった後も、どのように苦しみが続くのか。それを強く訴える映画だからです。
誰かを傷つけた人間にも傷が残る。そのことを知るのは、加害者を許すためではありません。人間が人間に何をするのか、戦争が人間に何をさせるのかを知り、同じことを繰り返さないためではないでしょうか。
そして、ネルソンさんが自分の体験を語ろうとしたように、私たちもまた、戦争について考え、語り、次の世代へ伝えていかなければならないのだと思います。
本作は、2026年9月11日に日本で公開されました。塚本晋也監督が、アレン・ネルソンさんの証言をもとに、戦争の加害者が抱える傷に真正面から向き合った作品でです。
ただ、上映館は全国では一桁と非常に限られていました。これほど大切なことを問いかける映画なのだから、もっと多くの地域で上映され、より多くの人に届いてほしいと強く思います。
私が鑑賞したキノシネマ天神では、遠くは広島や岡山から、わざわざこの映画を見るために福岡まで来たという方もおられました。見たい方はもっとおられるはずです。
戦争は、遠い昔の出来事でも、遠い国だけの出来事でもありません。今も世界のどこかで戦争が起こり、人が殺され、人間らしさを奪われた人々が生まれています。
だからこそ、この映画が問いかけるものを、自分自身の問題として受け止めたいと思います。
ネルソンさんが、義理の息子に自分と同じ経験をさせたくないと願い、苦しい過去を語ろうとしたこと。その思いを、たまなぎは忘れたくないと思いました。
戦争を経験した人が語ること。そして、その言葉を私たちが聞くこと。
その積み重ねが、次の戦争を防ぐ力になると信じたい。
一人でも多くの人に、この映画を観てほしい。そして、観た人同士で、戦争について、人間について、語り合ってほしいと思いました。
ちなみに上映してくれたキノシネマ天神は、塚本監督のインタビューや、見に来た人の手書き感想を館内に展示するなど、すごい熱の入れようでした。感謝します。↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました!