目次
はじめに
皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。
久しぶりの更新にもかかわらず、来て下さってありがとうございます!
3月の3連休、たまなぎは沖縄へ行って参りました!
沖縄は高校の修学旅行以来、〇十年ぶり!
沖縄は、独特の信仰の息づく場所であり、10代の頃に夢中になった古代ファンタジー『異次元童話~宇宙皇子』8巻の舞台でもあります。
時間の関係で全ての希望の場所は回りきれませんでしたが、今日から数回に分けてお送りします。
那覇空港~南部そば
出発地の福岡はまだまだ寒い
8時の飛行機に乗るために、4時起き。5時過ぎの電車に乗るためです。
前日の勤務がかなりハードだったので、起きられるか心配でしたが、無理やり起きる! 旅行のためなら!
しかし、思ったより外が寒い! 福岡の気温はぎり一桁!
この時期は、沖縄は20度前後、半袖から薄手の長袖がちょうどいいとの情報があったため、薄手の長袖の上にカーディガンを合わせていたのですが、一桁の気温には耐えられない!
でも、ダウンやコートを持って行っては邪魔になるので、二日目に着る予定だった長袖を加えて長袖ブラウスの二枚重ね+カーディガンで移動。何とか寒さに耐えられました。ブルブル。
空港にはかなり早めに着いてしまいましたが、この間に長袖を一枚脱いで鞄へ……沖縄に着いたらカーディガンも脱ごう。
まるでたまねぎのように脱いだり着たり……たまなぎだけに。
いざ、沖縄へ
飛行機は定刻どおりに出発。定刻に沖縄に着きました。
連休の時は、関西方面や東京方面への飛行機は必ずと言っていいほど遅れるので、定刻通りの運行がひどく有難く感じられました。
沖縄に着くと、さっそく蘭の花がお出迎えしてくれました。南国ムード満点です。。

空港までは日産レンタカーの送迎車が迎えに来てくれました。
レンタカー会社までの道は若干混んでいましたが、20分ほどで着きました。セルフライドゴーで手続きを済ませていたので、画面を見せたら一瞬で手続きが終わり。車の傷の有無を確認したら、すぐに出発できました。
豚足がとろとろの沖縄そばの店、「南部そば」
さっそく沖縄そばの店、「南部そば」へ。
豚の三枚肉を使った、いわゆるソーキそばもありますが、豚足を使った「テビチそば」が有名な店です。
11時少し前に着きましたが、既に開店待ちの長い列が。
1枠だけ残っていた駐車場に車を停めている間に店が開き、長蛇の列が吸い込まれていきます。
沖縄おなじみ、シーサーがお出迎え。
このシーサー、なんと起源はあのスフィンクスだとか。シルクロードを伝わって中国に伝わり、独自の「獅子」の像となって13~15世紀になって沖縄で魔よけとして飾られるようになったそうです。
沖縄の守り神「シーサー」とは?歴史や置き方、シーサー作り体験施設を紹介<2025> |じゃらんニュース

豚足とろとろのテビチそば。柔らかく、麺は思ったより太くてそばというよりうどんのよう。コシがあっておいしい。

沖縄で豚が盛んに食べられるようなったのは、中国の使節をもてなすためだったそうです。
沖縄は琉球王国として、明治の初めまで独立していました。この間、中国の冊封体制――中国の皇帝に使者や貢物を送り、見返りに皇帝からの庇護や下賜品を受け取る――に入っていたため、新しい王が即位すると、その度に中国の使節を呼んでお披露目とおもてなしをしなければなりません。
使節は数か月も居座るので、食料がとても足りない! そうだ、豚を育てて食料にしよう!
と始められたのが沖縄の豚食のルーツなんだそうです。ちなみに沖縄では缶詰の豚肉・スパムも有名ですが、これはアメリカで独自に発達したものが戦後沖縄に持ち込まれたもので、沖縄の豚食とは全く関係がないそうです。
こちらは沖縄独特の炊き込みご飯、ジューシー。丸い筒に入ったラムネではありません(笑)。
日本の炊き込みご飯より、若干脂身が強くてこってりしています。
豚肉の出汁で炊き込んでいるのだとか、納得です。

ひめゆりの塔
第一印象……ここは!
さて、一日目は南部を回ることにしていました。最初に訪れたのは、ひめゆりの塔。
何かと世界情勢が不穏な昨今、もう一度日本の戦争の歴史を振り返っておきたい。そんな気持ちで訪れたのですが……想像以上でした。
まず、道の向かい側の駐車場に車を停め、横断歩道を渡って近づいたとたん……ここは、ヤバい!
たまなぎは霊感というほどのものはないのですが、時々、「この場所はどうも近づきたくない」「おかしい」という異常な感覚が騒ぎ出すことがあります。
全身の血が落ちて地面に吸い込まれていくような、頭のてっぺんからから足先に向かって何かズンと重いもので貫かれるような……異常な感覚。
で、「見える」人に言わせると、やっぱりそういう場所はそういう場所だそうです。(今回の同行者には「見える」人はいなかったので、たまなぎの感覚が正しかったのかどうかは分かりませんが)
数年ぶりに味わったこの感覚。気休めになるかどうかは分かりませんが、入り口の献花販売所で300円の献花用のお花を購入します。
正面に献花台と慰霊碑があり、お花を供えて丁寧に黙とうを捧げます。
ひめゆりの塔とひめゆり学徒隊
慰霊碑の下にぽっかりと口を開けているのが、ガマ――いわゆる鍾乳洞です。
この洞窟は、戦時中、陸軍病院として使われ、傷病兵の治療が行われていました。
その看護に動員されたのが、ひめゆり学徒隊。沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちでした。二校は同じ敷地内にあり、「ひめゆり学舎」と呼ばれていました。
戦時下で軍国少女に育てられた生徒たちは、劣悪な環境で命懸けで傷病兵の看護に勤めます。しかし、米軍が沖縄に上陸し、日本軍の敗色が濃厚となると、突然学徒隊には解散命令が出され、彼女らは居場所を失います。
その直後に多くの生徒が米軍の攻撃で命を落としたり、海岸に追い詰められて集団自決したりします。教師・生徒240人のうち136人が死亡するという悲惨さでした。
日常と地続きの恐怖
ひめゆりの塔の資料館には、生徒たちの日常が、徐々に戦時下のそれへと変貌し、悲劇的な結末を迎えるまでが生々しく展示されています。
何より恐ろしいのは、毎日勉学や友人との交流に励んでいた「普通の女子高生」の日常と、悲劇が地続きだったこと。
犠牲者が残した数学のノート、ハンカチなどの日用品、日記帳……。本当に今と変わらない「普通の学校生活」を送っていた延長に、悲劇があった。
生存者の証言映像でも、「動員された当時はこんなことになると思わなかった。友達と一日一緒にいられる奉仕活動はむしろ楽しかった。それが気が付いたらだんだん敵の攻撃が迫って来て、任務が命懸けになっていき……そして悲劇が起こった」という意味の証言をされる方がいて、余計に悲劇の生々しさが伝わってきました。
そして、展示の最後には、犠牲者全員の顔写真とプロフィール。これは辛くて、とても全員分は見られませんでした。

撮影禁止の場所ばかりではありませんでしたが、とても写真を撮る気にはなれなかった、というが実際のところ。
辛うじて最後に、塔の写真だけはカメラに納めました。
広島や長崎の原爆資料館とは別の悲惨さがあります。日常生活と地続きの、そして、徐々に追い詰められていく恐怖。
そして、本来なら青春を謳歌しているはずの、守られるべき子どもたちが戦力として使われ、犠牲になったということ。
こんなことはもう決して起こしてはならない。そう強く思わされた場所でした。
辛い場所ですが、沖縄に行ったら一度は見ておいた方がよい場所です。
平和祈念公園、資料館
ひめゆりの塔見学後、どうしても気持ちが重くなってしまいますが、続けて平和祈念公園へ。
ここはひめゆりの塔ほど重い空気は感じませんでした。
ひまわり畑があり、3月なのにもうひまわりが咲き、ミツバチが忙しく働いていました。

続けて平和祈念資料館へ。

ここは展示物の数ではひめゆりの塔をはるかにしのぐボリュームで、沖縄戦のみならず戦後の歴史までも網羅しています。
沖縄戦の証言やモノクロ写真は、ひめゆりの塔に負けない悲惨なものも数多くありました。
見学客のほとんどは日本人でしたが、一人、米軍兵士らしき大柄な白人男性が熱心に展示を見ていたのが印象的でした。
展示を終えて外に出ると、二階から美しい海が見えます。
この、沖縄の南端の海岸には沢山の鍾乳洞――いわゆるガマがあり、追い詰められた住人の多くがここに逃げ込み、自決や米軍の攻撃で命を落としました。
写真で見える、岩が凸凹しているあたりがそれなのでしょうか。

この美しい海が血に染まるようなことがもう起こらないように。
再び平和への思いを強くしました。
この場所が、平和「記念」公園ではなく、平和「祈念」公園と名付けられているのも印象に残りました。
過去を振り返り、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと、平和を祈り、念ずる場所。
ここはそういう場所なのでしょう。
おわりに
今回の沖縄旅行、初日から重いものを受け止めた旅行でした。
けれど、改めて「行って良かった」と思える場所でした。
皆様も沖縄を訪れたら、是非一度は足を運ばれることをお勧めします。
最後までお読みいただきありがとうございました。