史跡巡り 歴史

【天智帝の神降ろし】王城神社①~天智帝が降ろした神を祀った古社

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さてさて今日は久しぶりに歴史ネタです。(見直してみたら最近オルカプネタばかりでしたものね)

今回は、『遠の朝廷にオニが舞う』の舞台である福岡県太宰府市で見つけた、非常に興味深い神社、王城神社のお話です。

 

1.王城神社の由来

私がこの神社を知ったのは、資料として読んでいた『太宰府・宝満・沖ノ島』(伊藤まさこ著、不知火書房、2014年)に取り上げられていたからです。

太宰府市通古賀、取材で何度も訪れた大宰府政庁からさほど離れていない場所にありながら、私はこの神社の存在を知りませんでした。

が、『太宰府・宝満・沖ノ島』で紹介されていたこの神社の由来に、非常に興味を持ったので、さっそく訪れてみることにしたのです。

ものすごく狭い道の奥にあります。多分地元の人以外には知られていないのではないでしょうか?

この神社の由来は、神社に伝わる『王城大明神縁起』に記されています。

『太宰府・宝満・沖ノ島』に分かりやすくまとめてありましたので引用します。

①神武天皇が四王寺山に城を築いた。

②峰に事代主(ことしろぬし)と武甕槌(たけみかづち)を祀り、東夷の平定を祈った。

③天智天皇が大野城を築く時、祀っていた神を通古賀に移した。

(引用元;『太宰府・宝満・沖ノ島』)

天智天皇が大野城を築いたのは665年。663年の白村江の敗戦を受けてのことです。

四王寺山は、大宰府政庁の北にある山で、白村江の戦い後、大宰府防衛のために百済人らの助けを得て、山城が作られました。これが大野城です。

この時、もともと神武天皇が四王寺山に祀っていた神々を、天智天皇が通古賀に移したというのです。

665年ですから、『遠の朝廷にオニが舞う』の世界よりも、さらに8年も前のこと。

こんな古い神社が大宰府にあったとは驚きでした。

 

2.立派なご神木が印象的な神社

鳥居から本殿を望むとこんな感じ。左側に縁起を記した看板があります。

 

狛犬さんもいます。

 

本殿です。

 

しかし何よりも目を惹いたのは、こちらのご神木。

本殿と比較してみると、その高さが分かるでしょう。

 

社殿が建てられたのはいつの頃か分かりませんが、古代神道においては、巨岩や巨木を神に見立て、あるいは神の依り代として神を招いていました。

これを神籬(ひもろぎ)といいます。

宗像大社の高宮斎場などもそれですね。

(高宮斎場を訪れた時の記事はこちら→https://ameblo.jp/dr-nagi/entry-12673876312.html

ご神木が立派な神社はそれだけ歴史が古く、古代の形を留めているといえます。

さてさてさらに、私の注意を惹いたのはこちら。

ご神木の下に祀られていた神。

しめ縄で隠れていますが、何の神様か分かりますか?

この神様が祀られているということは、四王寺から神々が降ろされたいきさつについても、つい色々想像を逞しくしてしまうのです。

皆さまは何か連想されましたか?

次回に続きます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

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