『大江山恋絵巻』 歴史 物語 作品解説&エピソード

御伽草子『酒呑童子』現代語全訳①

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

本日からは、たまなぎが『大江山恋絵巻~人の巻~』の題材をとった、御伽草子版の『酒呑童子』※の全訳をご紹介したいと思います。

13000字程度と、まあまあ長いお話なので、5回程度に分ける予定です。

ところどころ(たまなぎのしょうもないつっこみ)が入ると思いますが、ご容赦下さい。原文に忠実な訳も近日中にアップする予定です。

【注意】酒呑童子伝説を全くご存じない方にとっては、拙著『大江山恋絵巻~人の巻~』のうっすらネタバレを含みます。ご注意下さい。

()内はたまなぎのしょうもない突っ込みです。

 

※原文は『日本古典文学大系 38 御伽草子』(岩波書店)

 

前置き

昔、我が国の朝廷のことです。

我が国は、天地が開けて以来神の国といわれてきましたが、一方では仏法が盛んで、最初の帝から醍醐天皇に至るまで、王法も備わり政治は正しく、民をも大事に思われること、堯舜(筆者注;中国神話の名君)の治世もこれには及ぶまい。

(なんですか出だしからこの背筋の寒くなるような朝廷へのおべんちゃらは……! 古代から平安まで、血みどろの時代も沢山あったではありませんか……! この時点でこの物語が誰のために書かれたか明々白々ですね、はい)

けれども世の中には不思議なことも出てくるものです。

丹波の国大江山に鬼神が住んで日が暮れると、近くの国や他の国のものまでも、数えきれないほどさらっていくのです。

 

池田中納言の姫、さらわれる

都の中からさらわれた人は、美しい女房を17,8歳を始めとして数多くおられました。

どの人も哀れなことには劣りませんが、中でもひときわ哀れなのは、この方です。

一条院に仕え奉る池田中納言国方は院の覚えもめでたく、宝は家に満ちて、金持ちの家でした(どうも成金のようですね、お父さまは)が、ひとり姫をお持ちでした(『大江山恋絵巻』の茜ちゃんのモデルです)。

あらゆる美人の条件を備え、美しい姫君を見聞きする人は、心惹かれぬものはないほどでした(ほう!)。

両親の寵愛はひととおりではありませんでした。これほどにも優れた姫君が、ある日の暮れのこと、行方もしれずに消え去ってしまったのです。

父をはじめとして、北の方(筆者注:正妻)のお嘆きは激しく、乳母や女房たち、そこに居合わせた者達までも、上を下への大騒ぎになりました。

 

陰陽師登場!

中納言はあまりの悲しさに、左近を召されて、「どうか左近よ、聞いてくれ、このところ都に村岡のまさとき(注:島津本では安倍晴明)という評判の高い博士がいると聞いている。連れてきてくれ」とおっしゃいました。

左近は承知し、博士をつれて中納言の邸へ参りました。いたわしいことだ、国方も御台所も、恥も外聞も構わず、博士に対面されながら、

「どうかまさとき聞いて下さい。人のならいとして、五人十人子のある人さえ、どの子もおろそかに思うものはないのが常です。わたしはたったひとりの姫を、昨夕行方もしれず見失ってしまったのです。今年十三歳になります。生まれて以来、大切に育てられており、風をも嫌がるほどでした。鬼や、迷わせるものがいなければ、どうして姿を隠したりするものですか」

と袂を顔に押し当てて、

「博士占ってくだされ」と大金を博士の前に積ませた。そして、

「姫の行方がわかるならば、沢山の宝を差し上げる。よくよく占ってくだされ」と頼んだのです(いや気持ちは分かりますが行動がいかにも成金ですね)。

 

もとから博士は名人であったから、一つの巻物を取り出して、このありさまを見て、両手をはたと打ち合わせました。そして、

「姫君の行方は、丹波の国大江山の鬼神のしわざでございます。お命に別状はございません。なお、わたしの方法で、ご無事を祈ることに疑いはございません。この占いの方をよく見るに、これは観世音菩薩のお咎めです。

菩薩に願をかけ、約束をしたのに、その約束がまだ果たされないことについての観世音菩薩のお咎めというふうに見えます。観音様にお参りさなり、よくよくお祈り誓いなさいませば、姫君は都にお戻りになるでしょう」(お父さま何をしたんだか……)

と見通すように占って、博士は家に帰りました。

 

鬼退治の命が下る

中納言も御台所も博士の言葉を聞いて、これは夢か現実かとお嘆きになるありさまは、何にもたとえようがありません。

中納言は涙の落ちる暇もなく、急いで内裏へこのことを申し上げ、ご意見を聞かれました(え? そこで帝にチクるの? 観世音菩薩様との約束は?)

帝はお聞きになり、公卿や大臣を集めて、詮議を行いました。

その中に関白殿が進み出ました。

「嵯峨天皇の御代に、これに似たことがあったが、弘法大師が仏法の力で閉じ込めたと聞きます。しかし、その後国を去ってしまったので詳細はわかりません。しかしながら、今ここに源頼光をお呼びになって、鬼神を討てとおっしゃれば、碓井貞光・卜部季武・渡辺綱・坂田公時・藤原保昌をはじめとして、この人々には鬼神も怖気づきおののいて恐れをなすと聞いております。このものたちにどうぞ仰せられつけくださいませ」(いきなり武力行使ですか!)

帝もそのとおりだとお思いになって、頼光をお召しになりました。頼光は帝の命を承り、急いで参内申しました。

「どうか頼光聞いてくれ。丹波の国大江山に鬼神が住んで悪さをしている。我が国であれば辺境といっても、どこに鬼神が住めようか(おいおい、鬼は住んでもダメなのか?)。いわんや都に近いあたりで、人を悩ますいわれはない。従わせよ」

と、帝はこうご命令を下されました。

頼光は勅命を承って、こう思いました。

「ああ、大事のご命令だ。鬼神は体の形を変えるものであるから、討手が向かうと知れば、塵や木の葉と身を変えて、我ら凡夫の眼で見つけることはむずかしいだろう。けれど帝のご命令にどうして背くことができようか」(一応鬼のすごさは知ってるのね)

頼光は急いで我が家に帰って人々を呼び集めて、我らが力にはかなうまいと神仏に祈りをかけて、神の力を頼りにするのが最もよいだろうということになりました。

頼光と保昌は石清水八幡へ、綱と公時は住吉明神に、貞光と季武には熊野権現に参拝つかまつりました。

彼らの願いを、もとより日本は仏法の盛んな申告であるから、神もお受けくださって、いずれも霊験あらたかにご利益がありました(ご利益って具体的には何が?)。これにこした喜びはないといって、みな我が家に帰り、一つところに集まって色々相談をしました。

 

頼光ら、山伏に変装する

頼光はこうおっしゃった。

「この度のことは大勢であたったとしてもうまくいくまい。合わせてここにいる6人が山伏に姿を変え、山道に迷った風をよそおって、丹波の国鬼が城へ尋ねていき、住処だけでもわかったならば、いかにしても武略をめぐらして、討つことはやさしいだろう。それぞれ笈をこしらえて鎧兜をお入れ下さい。皆さんいかがでしょうか(正攻法では勝てないからだまし討ちをたくらむのね)」

皆は賛成して、それぞれ笈をこしらえました。

まず、頼光の笈には螺鈿鎖といって緋縅の鎧、同じ緋色の糸で縅した五枚兜に、獅子王という名の甲、ちすいという名の剣二尺一寸ございましたものを、笈の中にお入れになったのでした。

綱は萌黄縅の腹巻きに同じ色の縅した兜を入れ、いずれも劣らぬ剣を笈の中に入れました。

頼光らは小筒に入れて酒を持ち、火打ち石、付け木、雨をふせぐ油紙を笈の上に取り付けて、思い思いの打刀(注:敵を打つための、つばをつけたやや長い刀)、ずきん、鈴懸、法螺の回、金剛杖をつきつれて、日本国の神仏に、深く祈りお誓い申し上げて、都を出て丹波の国へとお急ぎになりました。この人々の有様にはいかなる悪魔も、おそれをなすはずだと思われるようでした(なんでここまで褒めちぎるの? 本当に強いなら正攻法で行けよ)。

 

まとめ

・一条帝の時代、丹波国大江山に鬼神が住んで、近くの国や都から人をさらっていた。

・池田中納言国方の一人娘が姿を消し、博士に占わせたところ、大江山の鬼神の仕業と占い、国方が観世音菩薩に願をかけたのに約束を果たさなかったことへの咎めだとして、観世音菩薩にお参りするよう助言した。

・しかし、国方は観世音菩薩には参らず、帝にチクった。

・帝や上級貴族が詮議し、源頼光らに鬼退治を命じた。

・頼光らはそのままでは勝てそうにないので(笑)、神々に助力を願い、山伏に変装して鬼神の居場所を突き止める作戦に出た。

 

最後までお読み下さって、ありががとうございました!

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部