『遠の朝廷にオニが舞う』 『神眠る地をオニはゆく』 博物館・資料館 歴史

重要文化財で見る『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』の世界①

はじめに

皆さん今日は、珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

さて、先日、前々から行きたいと思っていた、九州歴史資料館の特別展『重要文化財が語る古代大宰府』に行って参りました!

そこから、『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』の世界とかかわりが深いものを抜粋してご紹介します。

物語の世界をよりリアルに感じて下さったら嬉しいです。

(未読の方には若干ネタバレがあるかもしれません。ご了承の上お読み下さい)。

 

古代大宰府・防衛の遺構

『遠の朝廷にオニが舞う』は、水城の大堤の上で、主人公・瑠璃子姫と従者の鈴丸が、新羅使の来訪を見物する場面から始まります。

水城は、白村江の戦いに敗れた後、大陸からの侵攻に備えて天智天皇が作らせた防衛機構のひとつで、玄界灘方面から大宰府へ入る平野部を1.2㎞にもわたる堀と堤で塞いだものです。

↓現在の水城。菜の花が咲いているところがかつての堀。桜が咲いているのが堤の部分です。

 

 

『日本書紀』天智天皇3年条には、「筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名付けて水城といふ」と書かれていますが、水城東門跡近くの8世紀後半の井戸の中からは、このようなものが出土しています。

「正史に記録された防衛施設の名称が墨書土器によって確かめられた貴重な例」だそうです。

 

 

 

また、日本書紀に記される「大野城」を意味すると思われる、「大城」の墨書土器も発見されています。

 

鉄の民たちの生きた証

『遠の朝廷にオニが舞う』『神眠る地をオニはゆく』には、物語の鍵を握る重要な存在として、鉄の民が登場します。

今回の特別展示では、彼らの生きた証を、リアルに感じることができます。

大宰府政庁跡の西側にあった蔵司地区の前面丘陵からさらに西側にかけては、豊富な金属製品や鋳造・加工の跡が見つかっており、このあたりが金属工房だったことが分かっています。物語の中で、鉄の民・巌たちが仕事をしていたのもここです。

豊富な鉄製品

まずこちら、大野城の城門に使われていた金具。扉の回転軸を構成していたと考えられています。高さ25センチと、かなり大きなものです。

 

これは水城に使われていた鎹(かすがい)。水を通す樋を接続する道具として大量に使われました。

 

鉄の矢じりを集めた鉄鏃束、短刀などの鉄製品。大宰府政庁跡からの出土品です。銅製の鍔などもあり、鉄以外の金属製品が出土していたことが分かっています。

 

製鉄に使われた道具たち

このあたりからは、完成品だけでなく、加工や鋳造に使われた道具も多数出土しています。

金属を流して型を取るための鋳型、金属を溶かすためのるつぼ。

空気を送り込んで炉の温度を上げるための送風管も残っています。

こういう道具を見ると、実際に巌たちのような人々が、生きて働いていたのだと実感して胸が熱くなりました。

 

1300年も前のものとは思えない、高度な技術が使われていたことが分かりますね。

 

最後に

古代、鉄の民などの技術者集団は、戸籍上は「雑戸」といい、賤民に準じた低い身分とされました。

鉄は武器ともなり、食糧生産の効率を上げる道具も生み出します。鉄を持つ者は、富と力を持ちます。それゆえ恐れられたり、重宝されたり、その一方で不当に貶められたりもしたのです。

鉄の民が、鬼のルーツの一つであるゆえんです。

このあたりのお話をもっと知りたい方は、どうぞ物語を手にとって見て下さいね。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

 

 

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