『神眠る地をオニはゆく』 史跡巡り 作品解説&エピソード

『神眠る地をオニはゆく』裏話その4~作品の舞台編②

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今日も『神眠る地をオニはゆく』の裏話です。

 

今日は作品の舞台編です。今回もネタバレはありませんので、安心してご覧下さい。前回の記事(舞台編)では、古代祭祀の遺構「高宮祭場」をご紹介しました。

まだの方は、ぜひ前回の記事もご覧下さい↓

 

物語の中で、瑠璃子は初めて筑紫を離れ、九州の有力豪族・宗像氏の治める地を訪れます。

 

今回は、瑠璃子が目をみはった、宗像氏の墓所をご紹介しましょう。

 

1.宗像氏の墓所~新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群

新原・奴山古墳群。ここは玄界灘に面し、宗像市に隣接する福津市にあり、宗像氏の有力者が葬られた古墳です。

5世紀から6世紀にかけて築かれたもので、かつての入海に面した台地上に、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基からなる計41基の古墳が並ぶ様は圧巻です。

以下は、『神眠る地をオニはゆく【上】』で、瑠璃子がこの光景を初めて目にした時の様子です。

その時ふと瑠璃子は、右手の広い土地に、いくつもの巨大な丘が盛り上がっているのに気づいた。
丸いもの、盛り上がった丸い丘の先に、平らな丘の盛り上がっているもの、四角いもの、それが三十以上はあるだろうか。海にほど近い場所に、まるで海に向かって存在を主張するように並んでいるのだ。
「海人さま、あれは……?」
「ああ、あれか」
海人は足を止めて軽く笑った。
「あれは我が一族の代々の墓だ」
「墓⁉ あのように巨大なものが?」
瑠璃子は思わず声が裏返ったのに気づいた。岩彦がくすりと笑った。悪意はない笑いだったが、頬(ほお)が熱くなる。

(珠下なぎ『神眠る地をオニはゆく【上】』より)

 

これは最も内陸側の高台から、古墳群を見下ろしたもの。

左手に見える、土の盛り上がった場所は全て古墳です。画面奥にうっすら玄界灘が見えますね。

 

玄界灘からの潮風がかなり強かったです。

古代は今よりもかなり海岸線は陸側に食い込んでいたと言われます。

一見森かと見まがいますが、これは最大の前方後円墳です。

 

海から船で近づくと、陸に巨大な古墳が立ち並ぶ様子は、かなり遠くからでも目立ったことでしょう。

外国からの客人に向け、宗像氏の力の大きさを知らしめるために海の近くに作られたのかもしれません。

 

2.宗像徳善の墓の謎

『神眠る地をオニはゆく』の時代には、古墳時代は終わりを迎えています。それを象徴する、謎に満ちた古墳が別の場所に残されています。

 

こちらは、新原・奴山古墳群から約5㎞南にある宮地嶽古墳。宮地嶽神社の境内にあります。

 

ここは一般的には、宗像君徳善の墓と言われています。

天武天皇の長男・高市皇子の外祖父で、海人にとっても祖父に当たる人物ですね。

しかし、地元の郷土史研究家である綾杉るな先生は、こちらに異を唱えておられます。

宮地嶽神社の神官さんも、ここは宗像氏関係の人物の墓ではなく、筑紫の君磐井の関係者の墓だと考えているとのこと。放射性同位体で年代測定すると、徳善の時代より150年ほど昔の墓と考えられるそうです。

 

確かに、宗像一族の墓とは一つだけぽつんと離れていますし、宗像君徳善が亡くなったのは、7世紀も末期のこと。古墳の築造が廃れて以降のことです。宗像君徳善の墓とするのは少し無理があるかもしれませんね。

 

なぜ磐井の関係者の墓と考えられるのかはこちらの記事に詳しく書かれています。非常に面白い記事ですので、興味ある方はぜひこちらをご覧下さい!

奥の宮不動神社(1)巨大古墳だった。3mの頭椎の太刀はどうやって持つのよ。 : ひもろぎ逍遥 (exblog.jp)

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部