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たまなぎブログ by LTA出版事業部

朝倉橘広庭宮~斉明天皇終焉の地を訪ねる

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さてさて八女に引き続き、今回は朝倉橘広庭宮(あさくらたちばなひろにわのみや)に行って参りました!

こちらは太宰府から南東に約30㎞離れた福岡県朝倉市にあります。白村江の戦いの際、斉明天皇のために作られた宮の跡です。

斉明天皇についてはこちら↓

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以前から存在は知っていたのですが、ちょっと交通の便が悪く、また行きなれない場所なので後回しにしていました。

けれど先日ちょっと朝倉市に赴く用事が出来たため、ついでに行くことにしたのです。

 

大分自動車道を朝倉インターで下り、国道386号線を横切ったら、あとは中央線はおろか対向車が来たら離合できるのか?というレベルの狭い道をひたすら進みます。

周りはひたすら果樹園と農家。こんなところに遺跡があるんだろうか……?と心配になりながらも、カーナビとスマホのナビを駆使して何とか進みます。

やっと開けた場所に出た……! と思ったらありました!

 

ここに車を停めて、さっそく散策に。

近くに「猿沢の池」と名付けられた池と、古代の宮の様子を描いただろう壁画がありました。

中央の髪の長い女性が斉明天皇でしょうか?

 

さらに奥に進むと、「朝闇(ちょうあん)神社」という古い神社が。

こちらは東に山があり、朝も暗いことからこの名がついたそうです。昼間でも日の当たらない神社は、ちょっと不気味でした。(奥まで入る気になりませんでした)

「朝倉」の名の由来になったと言われているそうです。

日本書紀には、斉明天皇が宮の建設のため、朝倉の社(やしろ)の木を伐り払ったため、雷神が怒って御殿を壊し、宮殿に鬼火が現れたと書かれています。この朝倉の社とはこちらでしょうね。

 

で、宮の跡はどこ? 案内図に従って坂を上ります。

 

一応舗装されてはいるものの巨樹に囲まれ、人っ子ひとりいません。一人で来るのはあまりお勧めしません(笑)。

坂を上ると、やっと開けた場所に出ました!

 

近づいてみると、かなり大きかったです。「橘廣庭宮之蹟」と石碑に刻まれています。

 

斉明天皇はこの宮に居を定めた時、既に60歳を超えており、唐・新羅への出兵を見届けることなくこの地で亡くなります。

先ほどの駐車場のあたりから見ると、周囲の山が見えます。斉明天皇の殯(もがり)の際、鬼が笠を被って見下ろしていたとされるのは、あの山のあたりかな……と思いながら見上げました。

 

正直言いまして、大宰府からはかなり遠いです。

出兵の指揮を執るにはあまりに不便な場所。

先日のブログで書いたように、朝倉でまつろわぬ民・羽白熊鷲を平らげた神功皇后の偉業にあやかろうとしたのか。↓

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それとも単純に、老いた天皇は戦いに赴く体力がなく、実務は息子である中大兄皇子に任せ、万一大陸から攻められても安全な内陸に引っ込んだのか。

どちらなのでしょうね。

 

見学の後は、『御蕎麦 ちきた』で玄そばを頂きました。

 

山の中にある人気店で、せせらぎの音を聞きながら頂く御蕎麦はとてもおいしかったです。

殻まで一緒に挽いたという「玄(げん)そば」は、とても香りが良かったです。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

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