歴史 作品解説&エピソード

珠下なぎの歴史メモ㉟神功皇后とまつろわぬ民

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今日は前回の記事で予告したとおり、九州にゆかりの深い皇后・神功皇后について。

数多くの伝説を持つ神功皇后ですが、特に『遠の朝廷にオニが舞う』の世界にゆかりが深いエピソードについて、ご紹介していきます。

 

その前に神功皇后についてざっとご説明します。

神功皇后は、第12代仲哀天皇の妃。皇后ですが、自ら戦いに赴いたり、政治の実権を握っていたりと、事実上女帝といってもよいでしょう。

『日本書紀』では、ほぼ即位した天皇ごとに巻が分けられているのですが、巻第9は神功皇后の名を冠し、その業績が綴られています。事実上天皇扱いですね。

神功皇后は、仲哀天皇と共に熊襲(九州南部の異民族)征伐のため九州に赴きます。

天皇・皇后は香椎宮(現在の香椎神宮)を仮住まいとしますが、そこで皇后に神託が下ります。

「熊襲はやせた土地であり、討伐するに足りない。それよりも海を越えて金銀財宝の豊かな土地・新羅を征伐しなさい」と。

ところが天皇はその言葉を信じず、予定どおり熊襲を撃とうとします。ところが勝てずに帰り、香椎宮で急死してしまいます。『日本書紀』には、「神の言葉を採用しなかったので早く亡くなられたと思われる」と書かれ、仲哀天皇よりも神功皇后の正当性を強調する内容になっています。

天皇が亡くなった後、神功皇后は九州のまつろわぬ民(注;朝廷にまだ従っていない人々)を次々と平らげ、やがて有名な朝鮮半島への出兵=三韓征伐へと向かい、九州へ戻って応神天皇を産みます。

神功皇后に滅ぼされたまつろわぬ民の中には、邪馬台国の末裔ではないかという説もある、山門地方の土蜘蛛の田油津媛(たぶらづひめ)、そして現在の甘木地方の羽白熊鷲(はじろくまわし)という異形の民もおりました。

前回の記事でご紹介したように、竈門神社のある宝満山の古名、「御笠山」は、羽白熊鷲を討伐するために宝満山付近に立ち寄った神功皇后が、笠を吹き飛ばされたという伝説によるもの。

ではこの羽白熊鷲とは何者でしょう?

この羽白熊鷲討伐の話は、あまり知られていませんが、『遠の朝廷にオニが舞う』の世界に関連が深いので、是非ご紹介したいと思います。

 

『日本書紀』には、「人となりは強健で、翼がありよく高く飛ぶことができる。皇命に従わず人民を掠めている」と書かれています。

翼がありよく高く飛ぶことができる……古代の九州には有翼人種がいたのでしょうか?

それはそれでロマンですが、おそらく、山岳地域に住んだ、強大な権力を持った豪族だったのでしょう。皇命に従わず人民を掠め……は大和朝廷側の言い分ですから話半分にしておきましょう。

実はこの羽白熊鷲の墓とされる遺跡が、福岡市朝倉市の「あまぎ水の文化村」に残っています。

ここは実際に私も訪れたことがあるのですが、羽白熊鷲が地方の雄として、地元の人たちの中で大切にされてきたことが分かりました。

こちらのブログは地元の方のものですが、大変詳しく書かれ、写真もありますので、興味のある方は是非ご参照ください。

羽白熊鷲の墓 (inoues.net)

 

この羽白熊鷲は、時代こそ違いますが、『遠の朝廷(みかど)にオニが舞う』の世界と関連が深いのです。

羽白熊鷲は、地方のまつろわぬ民、しかも異形のものとされています。つまりはオニ。

(まつろわぬ民とオニついてはこちら↓)

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界⑪鬼とは縄文の神か?(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。   鬼についてのお話はまだまだ続きます。どうぞ末永くお付き合いください。   昨日までのエッセイでは、産鉄民としての鬼をご紹介しました。 &nbs ...

続きを見る

そして、羽白熊鷲が住んだとされる朝倉市付近は、白村江の戦いの際、斉明天皇が最期を迎えた、朝倉橘広庭宮に近いのです。

斉明天皇が最期を迎えた朝倉橘広庭宮には鬼火が燃えたり、斉明天皇の殯を鬼がのぞくなど、不思議な出来事が多く伝えられています。

しかも地元の方ならご存じでしょうが、軍事拠点とされた大宰府と朝倉は、距離にして30㎞近くも離れています。

斉明天皇がわざわざこの場所に居を定めたのはなぜでしょう。

同じように大陸と戦い、勝利を収めた神功皇后の行動に倣い、その偉業にあやかろうとしたのではないでしょうか。

物語を読んで下さった方にはお分かりと思いますが、白村江の戦いは、物語よりは10年ほど前ですが、物語に登場する多くの人の運命を変えてしまった、大きな出来事でした。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部