『ウラヤマ』 作品解説&エピソード

『ウラヤマ』裏話①三井三池炭鉱について

皆さん今日は、珠下なぎです。

 

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

今回から「『ウラヤマ』裏話」と題して、現在発売中の新刊『ウラヤマ』にまつわるお話を数回に渡って連載させていただきます。

どうぞよろしくお願いします!

※『ウラヤマ』を未読の方は多少のネタバレにご注意ください。ただし、物語そのものの核になる謎はブログでネタばらししないように気を付けたいと思います。

 

 

既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この小説に登場する炭鉱は、福岡県・大牟田市の三井三池炭鉱をモデルにしています。

登場人物たちの苗字も、九州に多いものを用いています。

 

三井三池炭鉱といえば、「明治日本の産業革命遺産」として、2015年、世界文化遺産に指定されましたので、ご存じの方も多いかと思います。

 

この地域における炭鉱の歴史は非常に古く、最古は室町時代にさかのぼります。

1469年、農夫の伝次左衛門が「燃ゆる石」を発見したというのが最初です。

実際に石炭の採掘がはじまったのは江戸時代。

1721年、江戸時代の柳河藩の家老・小野春信が石炭の採掘を始めたのが最初と言われています。

 

この小野家というのは、なんとあのジョン・レノンの奥様であったオノ・ヨーコさんのご先祖様だとか。

現地に見学に行った際、ガイドの方から聞いたお話しです。

 

明治時代になると、三池炭鉱は官営化され、西洋の技術が導入され、近代化が進められます。

その時に活躍したのが、この人、團琢磨(だんたくま)氏。

Dan Takuma.jpg

画像引用:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%98%E7%90%A2%E7%A3%A8

13歳で岩倉使節団に留学生として同行・渡米し、西洋の最新技術を学びます。

帰国後、イギリス製大型排水ポンプの設置や三池港の築港など、世界の最新技術の導入により、三池炭鉱の発展、日本の近代工業化に多大な功績を残しました。

 

大規模な坑口施設、石炭を運ぶための鉄道などが次々と設置されていく様は、当時の人々の目には驚異に映ったことでしょう。

 

1905年、三池港の完成とともに設置された三井港倶楽部は、政財界の社交場・外国の要人や皇族を迎えるための迎賓館として作られた、贅沢で華やかな洋館です。

今はレストランとして運営されており、当時の華やかな空気と共に美味しい食事を楽しむことができます。

 

しかし、そうした華やかな表舞台の一方で、慢性的な人手不足を解消するため、囚人を使役したり、貧しい農村や離島から人を移住させて労働力に当てたりということも日常的に行われていました。

彼らの人権は軽視されがちで、労働条件の厳しさの割に賃金は安く、また、炭鉱事故も頻発しました。

 

彼らの犠牲の上に成り立った繁栄ですが、やがて戦後石炭産業は斜陽を迎えます。

炭塵が少なく使いやすい石油や天然ガスなどが、海外から安価で入ってくるようになったからです。

 

そして戦後25年弱経った1968年、三井三池炭鉱に大きな悲劇が起こるのです。

続きはまた次回。

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

© 2024 たまなぎブログ by LTA出版事業部