『遠の朝廷にオニが舞う』 作品解説&エピソード

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㊸日本最古の風水都市・大宰府その1(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

 

このブログの最初の記事で、古代の防衛拠点・外交拠点としての大宰府=遠の朝廷についてお話しさせて頂きました。

 

現在の太宰府市が外交・防衛の拠点として選ばれたのは、朝鮮式山城を建設しやすい山々に守られた土地だったことなど、実務的な理由が一番に考えられると言いますが、風水に興味を持つ人が大宰府政庁跡を訪れると、異口同音に、「大宰府は風水都市である」というそうです。

 

風水思想については、かなりメジャーになってきたので説明するまでもないかと思いますが、古代中国に発した思想で、古代都市を建設する際、その建設するにふさわしい都市を選定する基準にもなりました。

 

日本でも平城京を建設する際、元明天皇が「平城の地は四禽図に叶っておりよい土地であり、都を移すにふさわしい」と言ったということが日本書紀に記されています。

四禽というのは、東西南北を守るとされる、青龍・朱雀・白虎・玄武の霊獣で、四神とも言われます。

 

平安時代、安倍晴明が編纂したとされている『簠簋内伝』(ほきないでん)には、「東に流水があり、南に沢畔があり、北に山、西に大道があるのが四神にかない、良い土地である」とされており、平城京も平安京も、これに準じて作られていると言われています。

 

これを大宰府に当てはめてみると、北に玄武の四王寺山があり、東に青龍の三笠川、西には水城から筑紫館もしくは那の津に至る官道があり、南には二日市温泉があります。まさしく四神に相応する地となっているのです。

 

大宰府が本格的に整備されたのが白村江の戦い以降と考えても、大宰府は平城京・平安京にはるかにさきがけた、日本最古の風水都市であったといえることになります。

 

ただ、これには異論があるようです。

それに、陰陽師など、風水思想のプロが力を持ち始める以前の時代、風水に基づいて大宰府を建設しようと考えたのは誰だったのでしょう?

 

続きはまた次回に譲りたいと思います。

(参考文献:森弘子『太宰府発見』(海鳥社))

 

 

 

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