『遠の朝廷にオニが舞う』 作品解説&エピソード

『遠の朝廷にオニが舞う』の世界㉚筑紫の君磐井【番外編】(by 珠下なぎ)

皆さんこんにちは、珠下なぎです。

前回で筑紫の君磐井についてのシリーズは最後にしようと思っていたのですが、こんなものを見つけてしまったのでもう一回だけ。

磐井の墓・岩戸山古墳のある八女市が監修したもので、磐井が九州地方でいかに大きな勢力を持っていたか、大和朝廷といかなる確執があったのか、そして磐井の乱がいかにして起こったのかが30分ほどのアニメによくまとめられています。

創作も多少入っており、あくまで磐井の側に立った構成ですが、おおむね史実に基づいて描かれています。

少し古いですが、16万再生を越えています。地元の方が沢山ご覧になったのかもしれませんが、「磐井の乱」について知りたい方が、全国から見て下さったのかもしれませんね!

だとしたら嬉しいです。全国的には磐井の知名度はまだまだ低いと思われますので。

 

さて、磐井の乱が平定され、筑紫の君磐井が亡くなった(もしくは逃れた)後、息子の葛子は朝廷に従います。

息子の葛子が死罪を免れたのは、「糟屋の屯倉」を朝廷に差し出したからだと、日本書紀に書かれています。

この、「糟屋の屯倉」とは何だったのでしょう?

糟屋郡志免町のHPには、このように書かれています。

「『屯倉』は6世紀以降に九州からはじまり、各地の国造(ヤマト王権の地方官)の領土内に、ヤマト王権の直轄地として、全国に展開されました。屯倉には、稲の収穫以外に、港湾、採鉄、軍事などの基地も含まれています。『糟屋屯倉』が最初で、これを足がかりに穂波など8つの要所に屯倉が設置されました。また、これらの統括のために那津官家が配置されます。福岡市博多区の比恵遺跡で多数の倉庫群が発見され、関連遺跡と想定されています」

糟屋の地は、福岡市の東に位置する糟屋郡にほぼ重なりますが、おそらく現在では糟屋郡に含まれない、古賀市あたりまでも含んでいたのではないかと考えられています。

この地は穀倉地帯というだけではなく、大陸に近く、貿易の拠点でもありました。

糟屋郡に近い福岡市東区には「多々良(=たたら=蹈鞴)」という地名も残されており、このあたりでは製鉄が行われていたものと考えられています。

アニメにもあるように、大和朝廷が要求した糟屋の地が、どれほど重要なものだったかがわかりますね。

ちなみに糟屋郡の「鶴見塚古墳」が葛子の墓だという言い伝えもあるそうですが、確証はありません。

糟屋の地を手に入れた大和朝廷は、九州における直接支配をますます強めていきます。

そしてこの『糟屋の屯倉』を足掛かりに、やがて「遠の朝廷(みかど)」大宰府が築かれ、軍事・外交の拠点となっていくのです。

最期まで読んで下さって、ありがとうございました!

 

 

 

 

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