皆さんこんにちは、珠下なぎです。
「鬼」をめぐるエッセイ、今回は、身近な行事でありながら、実はかなり古い「オニ」の形を留めていると思われる、ある行事において取り上げたいと思います。
その行事とは、節分。
鬼ごっこやかくれんぼの鬼と並んで、日本人が最も身近に「鬼」の存在を意識するきっかけになるものではないでしょうか?
長くなるので、数回に分けてご紹介したいと思います。
鬼を追い払うという行事は、もともと大みそかに宮中で行われていた、「追儺(ついな)」という行事のものです。
これはもともと、中国で立春の前日=つまり中国にとっての大みそかに行われていた行事が輸入されたものでした。
中国は旧正月ですから立春がお正月。ですから現在節分=立春の日である2月3日に鬼を追い払う儀式として受け継がれたのは自然なことといえますね。
日本で初めて宮中行事で追儺が行われたのは706年と記録されていますが、その後鎌倉時代ごろから徐々に衰退し、宮中行事としては行われなくなりました。
代わりに、平安時代、11世紀ごろから寺社などの民間で追儺の行事が行われるようになり、現在に受け継がれているところも多くあります。
この行事は、方相氏(ほうそうし)・儺人(なじん)という鬼を祓う役割を持った人々が桃の弓を持ち、鬼を門外に追い払うものです。
桃は、黄泉の国でイザナミの醜い姿を見てしまったために、怒り狂ったイザナミに差し向けられたヨモツシコメを追い払うために、イザナギが投げたことからも知られているように、魔を祓う力があると古代から信じられていました。
引用画像:Wikipedia(吉田神社での追儺 『都年中行事画帖』(1928年))より
現在の追儺の行事で追い払われる鬼は、角を生やして牙をむき出しにした、平安以降のいわゆる「鬼」の姿に似せてありますが、実は追儺の行事で追い払われる鬼は、この鬼ではありません。
この鬼は、古代中国で信じられていた、「瘟鬼(おんき)」、いわゆる伝染病をもたらす鬼なのです。
「瘟=おん」。日本のオニの語源は、「隠=オン」ではなくこちらだと主張する説もあります。
この鬼が何物であり、日本にどのように入って来たか?については、次回以降解説したいと思います。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。