『遠の朝廷にオニが舞う』 『神眠る地をオニはゆく』 史跡巡り 歴史 宗教・神話 作品解説&エピソード

宝満山・竈門神社と絶品カレーのお店

はじめに

皆さん今日は、たまなぎこと珠下(たまもと)なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます。

 

しばらくベルばら記事ばかりが続きましたが、本日は久しぶりに歴史記事です。

ちょうど機会がありまして、太宰府市の宝満山にある竈門神社に行って参りましたので、レポートさせて頂きます。

 

竈門神社の由来

竈門神社のある宝満山は、大宰府政庁の東北――鬼門の位置にあります。

大宰府政庁は、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた、古代九州における朝廷の統治の中心であり、また、大陸との外交・防衛を担う重要な機関でもありました。

竈門神社が創建されたのは天武2(673)年ですが、それより以前の天智天皇の時代から、鬼門封じ・国家鎮護の祭祀が宝満山で行われるようになったと神社のHPには書かれています。(ちなみに、たまなぎの小説『遠の朝廷にオニが舞う』と同時代・同じ場所です)

 

竈門神社の由来について、HPにはこう書かれています。

天武天皇二年(673)、開山心蓮上人が山中で修行中、にわかに山谷震動して貴婦人が現れ、「われはこれ玉依姫の霊、現国を守り、民を鎮護せんために、この山中に居すること年久し。」などと告げ、金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行しました。心蓮上人は直ちに朝廷にその旨を奏上すると、朝廷の命によって上宮が建立されました。

(歴史 | 竈門神社)

 

国家鎮護の祭祀の場だった宝満山に、玉依姫を御祭神とする神社が建てられたのがこの時ということですね。

その後も、奈良時代、平安時代と、旅立つ遣唐使たちの航海の安全を祈る祭祀も、この場所で行われました。

 

いずれにせよ、国を挙げての祭祀が行われた場所。

宗像氏が治め、朝廷と協力して航海安全を祈った沖ノ島とも、共通の性格をもつ場所です。

 

御祭神・玉依姫について

ここで御祭神・玉依姫についてざっとおさらいを。

玉依姫は、初代天皇である神武天皇の母君に当たります。

海神の娘であり、豊玉姫の妹。

豊玉姫は、天孫・瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の子である彦火火出見尊(山幸彦)と結ばれて鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を生みますが、鮫の姿で出産しているところを夫に見られたため、怒って海に帰ってしまいます。

幼子と共に取り残されて途方に暮れる山幸彦のもとにやってきたのが豊玉姫の妹・玉依姫。玉依姫は自分にとっては甥にあたる、生まれたばかりの鵜葺草葺不合命を養育し、鵜葺草葺不合命が成人すると彼と結ばれ、神武天皇ら4兄弟を生むのです。

 

一の鳥居

竈門神社は宝満山にあるので、車で登ります。鳥居の前に駐車場があります。1回500円、前払いです。

ちょうど新緑の季節であり、山中の神社でもあるので、緑が大変濃く、美しいです。

 

本殿までは石段を登ります。結構な運動になります。

 

こちらが本殿。といってもこちらは下宮。上宮は宝満山の山頂にあります。宝満山は標高829mとそこそこの高さのある山。登るとなるとそれなりの準備が必要な山です。

20代の頃、一度登ったことがありますが、この年齢になるとちょっときつい。ということで今回は下宮までです。

 

外国人観光客の姿もちらほら見かけました。なかなか見る目がおありですね。

 

下宮からの眺め。大宰府が山に囲まれている様子がはっきりと分かりますね。

 

本殿の大樹。

巨岩や巨木は、一般的に社殿がない時代、神の依り代とされていました。そのため、神社のご神木は大切にされ、年を経た立派なものが多いです。宝満山の中にあるためもあるでしょうが、竈門神社の境内の木々はどれも巨大で立派でした。カメラには収まりきらないほど。

 

春なのに紅葉? 春もみじ

境内で面白いものを見つけました。

まだ5月なのに紅葉?

 

調べてみますと、若芽のうちから紅葉したように色づいた葉を見せるモミジの品種もあるということ。出猩々(でしょうじょう)、千染(ちしお)など、いくつか種類があり、赤っぽいものから黄色いものまであるそう。

古来、「春もみじ」と呼ばれたそうです。

知らなかった。勉強になりました。

 

末社、刀子金剛兵衛発祥の地の碑など

下宮へ向かう石段に向かって左手に、連続した鳥居があります。ということは、アレですね(笑)。

 

やはり末社はお稲荷様でした。商売繁盛を祈って、ここにもしっかりお参り。

 

ここにはお地蔵様を祀った祠が。

神仏混交の名残でしょうか。宝満山は修験道の地で、神仏混交が早くから進んでいたため、明治の廃仏毀釈をまぬかれたのでしょうか。あるいは後世に祀られたものかもしれません。

 

こちらは、刀子金剛兵衛(こんごうひょうえ)源盛高発祥の碑。刀子金剛兵衛は、鎌倉時代から室町時代に活動した刀工グループの一派で、主に筑前国で作刀していました。金剛兵衛は、宝満山の竈門神社を信仰する山伏の出身とも言われ、初代が盛高だそうです。

修験者たちは、修行者であると同時に、金属の採掘もおこなっていたと言われています。

金属を扱う者=鬼。修験道の開祖・役小角は、鬼を従えていたと伝説にあります。

ここでも古き時代の鬼の足跡が。鬼好きとしては興奮しますね。

 

「緋桜や 十六詣りの 径けはし」

かつて、近隣の女性は、十六歳になると、良縁を願って竈門神社に参る風習があったといいます。

ホトトギスの同人で、晩年竈門神社の祢宜として、上宮の再建に尽力した和田満太郎(俳号・好文木)氏の句だそうです。

竈門神社では、玉依姫が縁結びの神とされているからでしょう。

 

近くの隠れ家カフェ「カレーとケーキの店さら」

結構広い境内を歩いて疲れたので休憩。

竈門神社から歩いて3分ほどのところに、「カレーとケーキの店さら」があります。

ここはグーグル口コミで☆4.5と高評価のお店。

 

こぢんまりとしていますが、室内の装飾のセンスが良く、落ち着ける店です。

メニューはカレーがメイン。欧風カレーからスープカレーまで種類が豊富です。

たまなぎが頼んだのはココナッツカレー。

 

あふれんばかりに具が乗っており、しかも辛いのにまろやかで絶品!

エスニック料理大好きなたまなぎはかなりあちこちでココナッツカレーを食べてきましたが、今まで食べた中で一番美味しかったかもしれない。

カレー好きには絶対一度食べて欲しいお味でした。

 

デザートのレモンケーキとアイスティー。レモンケーキにはゼリーもついてきました。

こちらもさわやかで超美味でした。

 

店の駐車場からの眺め。テラス席なら山々を見ながらの食事も楽しめそうです。

 

まとめ

・宝満山は、古代大宰府政庁の鬼門封じとして、また、遣唐使の安全を祈る場所として、天智天皇の時代に祭祀が始まった。

・竈門神社は、天武2年に創建され、神武天皇の母・玉依姫を祭神としている。

・鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した刀工グループ・刀子金剛兵衛は、宝満山の山伏にルーツを持つとも言われている

・竈門神社の近くにある「カレーとケーキの店さら」のココナッツカレーは絶品。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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