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『神眠る地をオニはゆく』裏話その3~新キャラ編②

はじめに

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

さて、今回は『神眠る地をオニはゆく』、新キャラ紹介その2です。

ネタバレはありません。この記事を読んで頂けると、『神眠る地をオニはゆく』の物語を二倍楽しんで頂けます!

 

1.新キャラ、美那木

新キャラといえば、PVでも紹介する謎の美少女を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、こちらについてご紹介してしまうとほぼネタバレになってしまうので、このキャラについてはブログでの紹介は見合わせたいと思います。

代わりに今回は、上巻で登場する風変わりな巫女・「美那木(みなぎ)」についてご紹介したいと思います。

 

宗像の地を訪れた瑠璃子は、巫女である美那木から、「この地に穢れた気を持ちこんだ!」と糾弾されます。

彼女は瑠璃子に、強烈な印象を与えます。以下、美那木の登場シーンです。

 だが、その女性の発する気。

それはただものではなかった。全身を包む、張りつめた気。

透明(とうめい)で混じりけがなく、他を寄せつけない緊張(きんちょう)感を保っているだけではない。

不用意に触れようとするものがあったら、まばたきするいとまさえ与えず斬(き)って捨てるような……。手間をおこたらず手入れされ、しなやかな鞘(さや)の中でぬき去られる時を待っている剣(つるぎ)のようなするどい気が、全身から四方八方に放たれているのだ。

この人は何者なのだろう。

こんな独特の気を放つ女性を、瑠璃子はいまだかつて見たことがなかった。

(珠下なぎ『神眠る地をオニはゆく【上】』より)

瑠璃子姫もなかなかのキャラですが、その瑠璃子をもたじろがせる巫女。彼女はいったい何者なのでしょう。

 

2.美那木の出身氏族、物部氏

美那木は、物部氏の出身という設定です。

物部氏は、神武天皇より先に大和入りを果たした天孫族である饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖先神とし、古くから天皇家に仕えた由緒正しい一族です。

528年の磐井の乱の際は、乱の鎮圧に大きく貢献します。

物部氏は古くからの神々を大切にしており、仏教が伝来すると、それを積極的に取り入れようとする蘇我氏と激しく対立します。

その対立の激しさを物語る文章が書紀に記されています。

稲目・尾興の死後は蘇我馬子、物部守屋に代替わりした。大臣・蘇我馬子は敏達天皇に奏上して仏法を信奉する許可を求めた。天皇は排仏派でありながら、これを許可したが、このころから疫病が流行しだした。大連・物部守屋と中臣勝海は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたと奏上し、これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を難波の堀江に投げ込ませ、馬子や司馬達等ら仏法信者を面罵した上で、達等の娘善信尼、およびその弟子の恵善尼・禅蔵尼ら3人の尼を捕らえ、衣をはぎとって全裸にして、海石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市)の駅舎へ連行し、群衆の目前で鞭打った。

(Wikipediaより引用,物部氏 - Wikipedia

古代といえど、なんとも野蛮極まりない内容ですね(ガクガクブルブル)。

しかし、その後も疫病の流行は続きます。崇仏派だった用明天皇の死後、物部守屋は穴穂部皇子を擁して次期天皇の位に着けようとしますが、蘇我馬子は炊屋姫(のちの推古天皇)を味方につけ、物部守屋の屋敷を攻めて、守屋を自害に追い込みます。

ここで物部本家は滅びます。587年のことでした。

しかし、強硬な廃仏派だったのは物部本家だけだったと言われ、分家・各地の国造系の物部氏はその後も存続します。

磐井の乱以後、磐井の支配していた地域に入植した物部氏もその一つで、美那木はその出身だという設定です。

ちなみに「みなぎ」という名は、『神眠る地をオニはゆく』の時代よりも、磐井の時代よりもはるか昔、九州の反朝廷勢力を次々と血祭りに上げた神功皇后が創建した「美奈宜(みなぎ)」神社から取っています。

美那木が、朝廷側の巫女であることを示す名前となっています。

 

3.沖ノ島は女人禁制では?

『神眠る地をオニはゆく』を読まれた時、歴史に詳しい方の中には、「沖ノ島は女人禁制では?」「なんで女の巫女がいるの?」「この作者ちゃんと調べてないんじゃ?」と思われた方もいらっしゃるかと思います。

しかし、あとがきでも書いたように、、沖ノ島がいつから女人禁制となったのかは、はっきりした記録が残っていないのです。

しかも、沖ノ島から出土した古代の祭祀品の中には、宮中の「大祓」と重なる品々があります。これはかつて、古事記における天照大御神・須佐之男命の誓約(うけい)の儀式から天照大御神の岩戸隠れ・天鈿女命 の舞から天照大御神の再生までを模した儀式で、それには女性の巫女たちも関わっていたと考えられています。

さらに、天武天皇と同時代の沖ノ島の遺跡からは、男神に縁のある祭祀品(馬具など)と、女神に縁のある祭祀品(機織り器具)などが両方出土しており、男女両方の神を祀った形跡があります。

卑弥呼の存在からも分かるように、日本古代においては、シャーマンの役割は女性に大きなウエイトが置かれていました。記紀の景行天皇紀からも、この時代の九州には多数の女性首長がいたことが分かっています。神官が男性となり、巫女が神官の補助的な位置に貶められていくのはもっと後世のことです。

さらに、800年の太政官符には、宗像氏に対し、「神事に際して新たな妾をめとる」習慣を戒める内容があります。つまりこの時代には、まだまだ神事において女性が大きな役割を果たしていたことが分かります。

これらの内容を鑑みて、あえて作品中に女性の巫女を登場させました。

作品の世界をより楽しんで頂けたら幸いです。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

 

 

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