皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて、霧島神宮の隠れスポット「天狗館」については前回で終わり……と思っていたのですが、書き終わったつもりになってとんでもないことに気づきました。
私、肝心要の猿田彦様について、さらっと流しすぎ!! これでは「天狗に似てる神様……?」で終わってしまいます。
猿田彦については非常に多彩な神格を持ち、また謎の多い神様であることからも、単独記事でご紹介しなければ! と思い立ち、記事の追加となりました。ご了承ください。
1.神話の中の猿田彦
神話の中の猿田彦は、天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内役を務めたとされます。異様な風体のために怪しまれ、瓊瓊杵尊は天鈿女命(あまのうずめのみこと)に様子を見にやらせます。
天鈿女命は、猿田彦の前で乳房と陰部を露にします。女陰に神的なパワーが宿っていたとされる古代では、これは威嚇の行為とも取れますし、単に性的な挑発とも取れます。猿田彦は名を名乗り、瓊瓊杵尊を道案内しようと申し出ます。
役目が終わると、天鈿女命は猿田彦を、彼の故郷である伊勢の五十鈴川の川上に送り届け、猿田彦はそこで余生を送ります。そして、漁の最中に、巨大な比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれ、おぼれ死んだと伝えられています。
2.裏切者か和睦の使者か?
猿田彦については、色々な見解があります。天孫降臨伝説は、神話としては「天の神が地上に下った」となっていますが、歴史的に考えれば、天の神を名乗る瓊瓊杵尊ら新勢力(天津神)が、元々その土地を支配していた旧勢力(国津神)を排してその土地を征服した、ということです。
ですから、猿田彦は旧勢力を裏切った、あるいは天鈿女命に篭絡され、裏切らされた、という説を唱える人も少なくありません。ヤマト王権に滅ぼされたまつろわぬ民の視点から古代史を研究し、『鬼の大事典』などで知られる沢史生氏などは、「旧勢力の一部を裏切らせ、旧勢力を一掃した後、用済みになった裏切者を粛正するのはヤマト王権の常とう手段。猿田彦は天鈿女命に篭絡され、旧勢力を裏切らされた後、殺された。巨大な貝は女陰を連想させ、猿田彦が、彼を誘惑して裏切らせた天鈿女命によって殺されたことを示唆している」と述べています。
その一方で、圧倒的な力を持った天津神に勝てないと悟った国津神らが、猿田彦と天鈿女命の結びつきにより、天津神との和睦を図ったのだ、という解釈する学者もおられます。
いずれにせよ、葦原中つ国=日本において、国津神から天津神への権力の委譲を少しでも平和的なものにするために、自ら犠牲になった神様だと言えます。庶民の生活を、一番に考えてくれた、優しい神様だったのかもしれませんね。
3.鉄の民との関係
これは私の個人的考えですが、猿田彦は鉄の生産に関わる民族の長だったのではないでしょうか。
というのは、猿田彦の故郷とされる「五十鈴川」というのは、古代製鉄を思わせるの名前だからです。
五十鈴というのは、たくさんの鈴が房状に連なったさまを表します。これは実は、「褐鉄鉱」という、古代製鉄の原料なのです。詳しくはこちら↓
「鉄を制する者は世界を制す」というように、武器になり、農作業の効率を上げる鉄は、古代において欠かせないもの。逆に言えば、権力者たちがどうしても欲しいものです。
猿田彦はその技術を持つ者たちの長であったからこそ、天津神との橋渡し役になれたのかもしれませんし、あるいは鉄の技術を天津神が独占するために消されたのかもしれません。「五十鈴川の川上」という地名には、重要な意味があるのではないでしょうか。
4.様々な神格
猿田彦は、後年になって様々な神格を付与されます。道案内の神としての性格から、道祖神・塞の神と同一視されたり、「サル」という音から、庚申信仰に取り込まれたりもします。
いずれも庶民の生活に密接に関わっていることから、広く信仰され、道祖士信としてあちこちに祀られています。
また、今でも古い神社には猿田彦が祀られていることが珍しくありません。こちらは7世紀に建てられた古社・王城神社の猿田彦の碑。
天津神に征服された古い神様であり、人々の生活を一番に考えた(多分)猿田彦は、今でも庶民の中に、広く信仰されているのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!