皆さん今日は、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さて先日、基肄城跡へ行って参りました!
基肄城は、大野城や水城などと同様、663年の白村江の戦いで倭国が敗れた後、天智天皇が大陸からの侵攻に備えて作らせた防衛拠点の一つ。基山という山の上に築かれています。
大野城と同様の山城です。
大野城は大宰府政庁のすぐ裏手にあるので、大宰府見学のついでに行くことができたのですが、ここは佐賀県。大宰府からは12㎞ほど離れています。
けれど、たまたま春日市の図書館に文献を探しに行った際、思ったより文献があっさり見つかったので基山まで足を延ばすことにしたのです。
けれどこれが意外に難所で……?
それではどうぞこちらをご覧ください!
1.基肄城、どこ⁉
基肄城は、訪れるのは初めて。しかも前情報もほとんどありませんでした。
けれど大野城が歩道が整備され、比較的歩きやすかったことから、「ちょっと歩くくらいなら大丈夫だろう」と軽い気持ちで出かけました。
車のナビで「基肄城跡」をセットし、ひたすら車で登ります。
ところが登れど登れど…一応舗装はされているものの、離合も難しいような細い道が続きます。しかもカーブが多く、反対から車が来ても気づきにくい。慎重に運転しつつ、山道をひたすら上ると……看板のある駐車場に出ました。
古いけれど一応トイレもあり、案内板も立っています。
ここか! と車を止めます。ちなみに駐車場には車ゼロ。
大伴旅人が基山で詠んだとされる歌に関する看板が。
「橘の 花散る里の ほととぎす 片恋しつつ鳴く日しぞ多き」
大宰府に赴任中に妻を亡くした大伴旅人が、亡き妻を偲んで詠んだ歌です。
さて、一応案内板はありますが、案内板の向こうには傾斜のある草地が広がっているだけで、今一つ方向が分かりません。
2.いざ、山頂へ!しかしすごい急坂!
とりあえず、山頂と思しき方向へ、道なき道を進みます。かなりの急坂。草スキー場として使われているそう。道も見当たりません。仕方がないので無理やりここを登ります。
人っこひとりおらず、滑り落ちそうになりながら登るのは、少し怖かったです。けれどここまで来て引き返すのも……と頑張って登りました。
降りてきたところを見下ろしたら、こんな急坂。滑り落ちなくて良かったです。
3.基肄城跡の石碑、ついに発見!
坂を上りきると、いきなり視界が開け、だだっ広い平地に出ます。左手に大きな石碑が。
見晴らしは良いです。360度の大パノラマ!
なるほど、筑紫神社におられる「筑紫の神」は、もともとはここにいらしたのですね。
詳しくはこちら↓
けれど礎石など、古代山城の遺構らしきものは見当たりません。
ふと振り向くと、後方に明らかに人の手が加わっていると思われる奇妙な地形が?
4.「いものがんぎ」
「いものがんぎ」。
こんな表示とともに、奇妙な地形が。
調べましたら、これは古代山城のものではなく、戦国時代に作られた山城の防御機構だそうです。主廓に至る尾根に堀を切って、尾根からのルートを遮断するためのものだそう。
近くには祠もありました。
さて、「いものがんぎ」。せっかく来たので溝をくぐっていると……、人の話し声が???
「いものがんぎ」をくぐった先で、なんと、60~70代くらいの地元のおばさま方が、お弁当を広げておられるじゃありませんか!
初めて基肄城に来て人に会いました。
駐車場に車はありませんでしたが、どこから登ってこられたのでしょう。
ここもかなり開けた土地で、こんな巨大な石碑が。「天智天皇欽仰之碑」。
古代、九州と日本の防衛に尽力した天智天皇に敬意を表してのものでしょうか。
5.大礎石群へ
登りながらネットで調べましたが、基肄城の遺構はかなり広範囲に広がっており、歩いてめぐると3時間くらいかかってしまいそう。
昼時でしたが、食料も水も持っていなかったので、長時間の山歩きは危険と判断、一番近くにある大礎石群だけ見ていくことにしました。
地図を頼りに、今度は来た方と反対方向に山を下ります。
こちらも人影はほとんどなく、道も狭い。時々鳥や動物の鳴き声がして、なんとなく不安にさせられます。
あと5分歩いてたどりつかなかったら引き返そうかな……と思ったところで、やっとたどり着きました!
礎石の広がりから、かなり大きな建物だったことが分かります。基肄城のメインの建物と考えられているそう。
切り株と比べてみると、一つ一つの礎石の大きさが分かります。
今回はここまで。体力にも自信がありませんし、水分も取っていなかったので、行き倒れたら皆さんに迷惑がかかりますから。
てくてくと引き返していたら……さっきお弁当を食べていたおばさまたちが、山歩きの格好で歩いて来られるのに出くわしました。
挨拶したら、「あなた、どこから降りるの?」「???」ああ納得。
私がいきなり変な場所から現れたもんで、道を知らないのがバレバレだったんですね。
駐車場までの道を教えていただき、「天智天皇欽仰之碑」まで戻ります。
見ると、確かに細い踏み分け道が。これに従って山を下ります。
さっきの草スキー場に比べればかなりゆるやか(それでもかなりの急坂でしたが)。
いつの間にか、草スキー場のふもとに着いていました。見ると、「きのくに古道」と書かれた小さな矢印看板が。さっきはこれを見落としたんですね。
基肄城はかなり広く、他にも水門跡や石垣跡など、見どころはたくさんありそうなので、今度はしっかり山歩きの準備をして臨みたいと思います。
ようやく車にたどりつきましたが……やっぱり駐車場に私の車だけ。さっきのおばさまがたはどこから来られたのか、その謎は解けませんでした。
もしかして、道に迷いかけた私の前に現れた山の神様だったのでしょうか?
最後まで読んで下さって、ありがとうございました!