史跡巡り 歴史

斉明天皇は命と引き換えに筑紫の信仰を破壊した?

皆さん今日は、珠下なぎです。

今日も来て下さって、ありがとうございます!

 

前回までの「天智帝の神降ろし」シリーズ。

沢山の反響やコメントをありがとうございました。

当初は天智帝だけにスポットを当てていましたが、天智帝が白村江の戦い後に、山城から神々を降ろして祀り直したという事実を鑑みると、斉明帝が朝倉橘広庭宮で行ったことも、この一連の流れにあるという解釈ができます。

 

天智帝・斉明帝が行ったことについての解釈はこちら↓

 

斉明帝が朝倉橘広庭宮で最期を迎えたこと、その前後に様々不可解なことが起こったことは、このブログで何度も取り上げました。

ところが、斉明帝がどうして大宰府から20キロ近くも離れた辺鄙な場所に宮を構えたかについてなど、まだまだ数多くの謎が残されたままでした。

そこで、斉明帝の最期について、「現地の信仰の破壊」という点から、もう一度考え直すことにいたしましょう。

 

1.朝倉の社とは何だったのか?

日本書紀には、このように書かれています。

5月9日、天皇は朝倉橘広庭宮にお移りになった。このとき朝倉社(あさくらのやしろ)の木を切り払ってこの宮を造られたので、雷神が怒って御殿を壊した。また宮殿内に鬼火が表れた。このため大舎人や近侍の人々に、病んで死ぬものが多かった。

(中略)

秋7月24日、天皇は朝倉宮に崩御された。

8月1日、皇太子(中大兄)は天皇の喪をつとめ、帰って磐瀬宮につかれた。この宵、朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた。人々は皆怪しんだ。

引用元;『日本書紀 全現代語訳』(講談社学術文庫)

朝倉社とは、どのような社か。

それは朝倉橘広庭宮の下に、ひっそりと建っていました。

神社の由来には、このように書かれています。

朝闇神社(ちょうあんじんじゃ)

祭神 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)

別名を大行事社ともいい、祭礼は毎年9月14日に行われる。近くには「朝倉橘広庭宮」「天子の森」「長安寺廃寺跡」があり、これらと関連があるのではないかと言われており、「朝倉」の地名は、この神社からきたものではないかと考えられている。また、この神社の境内に祀られた「毘沙門天堂」は現在も残っている。

 

また、福岡県神社庁HPによると、「この地に朝日が射すのが遅く、いつまでも暗かったのでこの名がある」とあります。

日本書紀にもはっきりと「朝倉社」と書かれていますから、「朝倉社」=「朝闇神社」であることは疑いようがありません。

福岡県神社庁のHPには「朝倉橘広庭宮が造営された時に同時に創建されたと言われています」と書かれていますが、斉明帝が宮の造営のために朝倉社の木を切り払ったという記述を見れば、社の方が古かったのは明白です。

祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)となっていますが、斉明帝の破壊行為から考えると、これは後付けの可能性が高いです。

おそらく、土地に伝わる古い神だったのでしょう。

そう考えると、斉明帝が白村江の戦い前に、大宰府からあまりにも遠く、辺鄙なこの地に宮を構えた理由も見えてきます。

朝倉の地は、土地の重要な神様を祀る場所だった。

だから、斉明帝は「現地の信仰を破壊するために」「わざわざこの地を選んで宮を建てた」のではないでしょうか。

 

2.斉明帝の破壊行為後、次々と起こる怪異

ところが、この破壊行為の代償は、瞬く間に斉明帝一行をおそいます。

先の日本書紀の記述を見て見ましょう。

「雷神が怒って御殿を壊した。また宮殿内に鬼火が表れた。このため大舎人や近侍の人々に、病んで死ぬものが多かった」

そして、斉明帝自身も、60歳を過ぎた高齢とはいえ、命を落としてしまいます。

「(斉明帝の殯の時)この宵、朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた」

朝倉の神は、以前ご紹介した筑紫の神のように、祟りをなす恐ろしい神だったのです。

また、「鬼」には縄文の神=被征服民の古い神という側面もあります。

縄文の神と鬼についてはこちら↓

 

次々と怪異に襲われ、命まで落とし、死後もなお鬼につきまとわれる母の姿を見た中大兄皇子は、祟りを恐れ、山城にいた神々を降ろす際には丁寧に祀り直し、その祟りを逃れようと考えたのではないでしょうか。

その甲斐あってか、中大兄皇子は白村江の戦い後、筑紫で変事に見舞われることはなく、無事都への帰還を果たすことができたのです。

そして、斉明帝・天智帝母子のこの働きにより、現地の神々はその姿を隠蔽され、筑紫神社にかろうじて「筑紫の神」の記述が残るのみとなりました。

そう考えると、この母子は母の命と引き換えに、筑紫の信仰を破壊し、王権を中心とした祭祀体制を確立することに成功したといえるのかもしれません。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

 

 

 

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