皆さんこんにちは、珠下なぎです。
今日も来て下さって、ありがとうございます!
さてさて、前回までの記事では、天智天皇が、白村江の戦い後に四王寺山から2柱の神を降ろし、春日神社と王城神社に祀った、というお話をさせて頂きました。
ところが、この時に山から降ろされたと推定される神は、この2柱だけではないのです。
もう1柱。しかもこの神様は、四王寺山から降ろされた神とはかなり性格を異にしているのです。
というわけで、筑紫神社にも行って参りました。
1.筑紫神社
筑紫神社は、筑紫野市原田(はるだ)にあります。
筑紫野市は、『遠の朝廷にオニが舞う』のもとになった『武蔵寺縁起』が伝わっているところです。
駐車場の位置が分かりにくいですが、裏手にありました。
こちらは一の鳥居。前方に延々と続く石段が見えます。
石段を登って登って……やっと二の鳥居。「筑紫大明神」の文字が見えますね。
こちらは途中にあった末社。大正4年に、村にあった神社を移動させ、併せて祀ったものだそう。
手水舎にはちょこんと栗が置いてありました。
本殿はこちら。まずはお参りを済ませます。
こちらのご神木も大層立派です。
2.筑紫神社に祀られた神
そもそも、筑紫神社に祀られている神は、何者なのでしょうか?
ご神木の横に、地元の詩人・安西均氏の詩が刻まれた石碑が建っています。
「遥かな古代 筑前・筑後を合せて「筑紫の国」と名づけ 九州を「筑紫の島」とさえ称した
ああ かくも大いなる筑紫 ここはその発祥地であり中心地である
ここ筑紫野まほろばに静まる産土の神は われわれの遠い祖先の喜びであり
現代のわれわれの誇りであり われわれの子孫が受けつぐべき聖域である」
筑紫の発祥がこの地。そう呼ぶには訳があるのです。筑紫神社の案内板を見て見ましょう。
祭神は、「筑紫の神」となっています。
事代主や武甕槌神、天児屋根命と違い、古事記や日本書紀には登場しない神様ですね。
「祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。奈良時代の『筑後国風土記』の神話によると、『筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた。その神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった』とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推測される。筑紫の語源は、当社の神号から起こった」
この神社にはオリジナルの縁起はなく、筑後国風土記を参考に縁起が作られたそうです。そしてもともとは山頂に祀られていた神を今の場所に降ろしたとのこと。
では、筑紫神とは何者なのか。命尽くすの神なんて、ちょっと怖い神様ですね……(ブルブル)
帰ってからゆっくり考察することにいたしましょう。
帰り道。彼岸花が咲いていました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!